JHF ハンググライディング競技委員会

フライトレポート 田中猛

 

日付:2020.4.4
エリア:大佐山
機体:Aeros Combat 13.7

大佐 西風5メートル前後

前日の予報では参加するか悩む風予報。北西風と南西風が綺麗に中国地方真ん中あたりでぶつかっているが、全体の西風ベースが強くて東に向かってテイクオフする大佐には厳しいかと。
天気や子供のことで一ヶ月以上も飛べてなく、春の大佐。でも、飛べるなら飛びたいし今年初大佐、人も多いので飛びに行くことを決意する。

テイクオフでは11機のの機体が広がり、みんなの期待も高まる中、常にゲートを開ける男砂間さんが11時過ぎにTO。
回りこみの南風が強く、揉まれながら低くなるがきっちり上げていく。続々とハーネスを着だす。自分も並ぶべくハーネスを準備してると、無線の指スイッチが切れてしまう。無線は聞こえるがこちらからの発信は難しい。なんとも飛ぶ前に嫌な出来事。

砂間さんから2000mオーバー、盆地を発射する無線が入る。
次にテイクオフする氏家さんが上がりきらずに降りてしまう。MLDは動けないほどの強風との情報が入ると、みんな意気消沈、ハーネスを脱ぐ人多数。

仕切り直しの雰囲気のなか、キムがTOするもMLDに。誰も出そうにない。
でも、出れるタイミングもあると思うのでランチャーに上がって様子を伺う。15分ほど待ってみたがきれいにサーマルブローは吹いてこない。
上がるか心配だけど、回り込みの南風も少し収まってきた様子があるので出ることにする。

慎重に風を選んでテイクオフ。

12:17
予想していたよりも、南風西風共に強く、南の尾根に近づくほどに揉まれて、西風を感じる。
出来れば南側、さらに南西方向に回りこみたいが、必要以上に無理をせず、出来るだけ風上にポジションをとり、リフトに合わせて流されながらリフトが立ち上がるのを期待する。期待した大佐オートキャンプ場辺りで立ち上がりだして順調に高度を稼ぐ。
しかし、上り切らず1700m 中途半端な高度だ。

12:34 4km
一旦山頂に戻ることも考えたが、高度をロスしてもう一度やり直しになるのは嫌だった。久世の弁当屋には届くだろうと判断して大佐の盆地を発射する。
勝山のゴルフ場を狙うもいいサーマルがない。
弁当屋の南の山の尾根にもつけず、これはワングライドで弁当屋か、残念だ。
しかし、今期初大佐だからそれも仕方ないと観念するも、弱いながらもサーマルヒット。しっかり立ち上がりだしていい上がり。

13:17 28km 久世
丁寧に上げて2500m
大きな積雲も沢山で今日のコンディションは良さそうと、判断。
途中で上げ足し、本日最高高度2700m

でも、これは上げすぎでその先の雲底は2500m辺りで、大きな積雲を避けなければならなかった。気分的にかなりロス。

津山盆地に入る。この辺りで砂間さんの無線「テイクオフから110キロ」一時間近く先に出ててるとはいえかなりハイペースだ。この先も条件は良さそうで、ペースを上げたい。
津山盆地はいつもは温まりが遅く、サーマルサーチに失敗する場所。北寄り、町、南寄りと選択肢も多く、どこが正解なのか難しい。
今回は高度充分で通過する。コースは津山城上空を通って東進したかったが、少し南寄りになった。

盆地を通過
そろそろ上げなおしをと思っていると、条件の読み間違いだ。オーバーキャストで積雲多すぎて日照がない。
それでも何とかなるだろうと甘く考えてたら1000mを切り、シンクにつかまり、慌てて日照のある南側に逃げる。ペースを上げるどころか、寄り道する羽目に。万事休す。
対地300mを切る。またも諦めかけて、ハーネスのファスナーに手をかけるとサーマルにヒット。
ホッとするも、雲底は高いのに上げきれず1600m 風の変わり目でサーマルをうまく追えてない気がする。
後続の無線が入る、みんな2000mオーバーで来てるようだ。自分だけ上り切らないから、かなり焦る。

14:11 68km 作東
予定より南側にコースがずれているのでもう少し北上したい。だが、降りる場所を考慮すると安心な高度とはいえないので、希望コースを優先するよりもまずはキープハイで駒を進める。オーバーキャストも収まり、それなりに積雲がある。この後の作用ジャンクションからの山道コースを考えると、北上しつつ高度を稼ぎたいが、上げきれない。
作用の高圧鉄塔を南から強引にかわして突っ込む。リフトはあるけど、荒れてるのかサーマルを上手くとらえられない。困っていると後発の松田さんに追いつかれ合流。するすると2000mオーバーまで上げて行く。それに合わせてついて行くと今までが嘘のように上がる。勉強させてもらった。

15:05 90km 2100m 山崎
今年もなんとか100キロオーバーは狙えそう。じわじわ南側から積雲の数が減ってきている気がするのでで出来るだけ北側に寄せ条件のいいコンバージェンスを探したい。
山崎通過
前にいる松田さんは少し南よりコースを取ったようだ。

15:30 110km 神崎
神崎のガレ場に取っ付く。リフトはあるものの合わせられない。のた打ち回りながらそれでも1500mまでは回復。
ここはいつもあげれず、次の尾根を越えられなくてよく降りた場所。今日は次に進める高度を確保することが出来た。
今年は篠山が見れるかと期待する。北にかなりずらしたので松田さんを見失ってしまう。

15:40
東進
作用からは、尾根が南北に連なっていて、山越、谷筋を繰り返して越えていく。谷筋で降りる場所を認識していないと、低くなった時に手詰まりになってしまうので注意が必要だ。これは事前の準備か経験が大切。

16:05 121km 多可町
しっかりとしたサーマルが見つけられない。篠山盆地を目指すならここからは東にルートをとるべきなのだが、探している北風がまだ遠い、時間的にもそろそろ終わりかもと思って少し無理して北東方向を目指す。

16:16 130km
ここで降りることを考えてて、上空の確認がおろそかになってた。気が付くと、北側に入りすぎてて北西からの寒気の影響か曇天、ドン曇り。上層雲が張ってて日の光を感じない。しまった奥に入りすぎたと思ったが西日の差す南東方向の篠山盆地に届く高度ではなく、日照のないこの辺りではサーマルは見込めない。少しでも距離を延ばしてベストポジションを取るべく、安全山の横を通り春日IC辺りまで行ければと考える。

16:25 135km 氷上町
心は降りることしか考えてなかった。岩屋の近くだから波多野さんが迎えに来たりしてくれないかな、などのんびり考えて、弱いサーマルで流してる・・。と、薄暗い場所でいきなり+5m/s以上のサーマルでベースバーを持っていかれそうになる。慌ててコントロールするも、大佐以上の劇荒れ。フライト時間4時間を越えてからの突発サーマル、安全山は安全でなかった・・・。もみくちゃにされながらも、降りることの危険を考えて高度を稼ぐ。1000mまで回復して、出来るだけ北風が落ち着いているほうにと谷筋を抜ける。
先ほどより穏やかなサーマル(それでも大佐以上)で1500mまで回復

中国山地の東端で青垣の盆地を北西風が流れてきてるのだと後からだと落ち着いて考えることもできるが、薄日もないところで、強烈なリフトが発生するとは思っていなかった。

16:53 142km 春日
高層雲の下に1600mぐらいでバフが並ぶ。そのバフがすでに恐怖。
不安定な雰囲気、ベースバー伝いに不穏な感じ。気を抜くと持っていかれる。ベースバーを握る手に力が入る。
光が指す篠山盆地を目指すものの、少し落ち着きを取り戻す。

岩屋といえば、氏家さん松さん和田さんの伝説的な前線フライトを思い出す。今日もこれはコンバージェンスというより、強風どうしの局地的前線じゃないのか。など思考を巡らしながら、上層雲が前線のラインを示してると認識する。このリフトに乗って、このまま亀岡盆地まで行ければ、自己ベストも更新できる。

17:06 155km
ボーナスタイムスタート(地獄のような時間を過ごしたら、至高のグライドタイムが待っていた)
コントロール出来る状態になってきた。高層雲の南端近くまで寄せてきたので、西日も差してて、暗黒面から脱出した気分だ。このままリフトラインを外さないように亀岡盆地を目指す。ただ、残り時間も少ない。少ない日照の感じから、ラインを外すと、サーマルなく、上げなおす時間もないとの判断で、慎重に慎重にバリオの音を頼りにラインを探す。

17:23 176km 園部
亀岡盆地に入る。1900まで上げながら進めた。自己記録も更新。薄っすら京都タワーが見える。
盆地は晴れてて、上層雲の前線が途切れだす。
ここで進路は二つ。琵琶湖を目指すなら東進。亀岡で降りるなら南東方向へ向かいベストポジション狙いだ。間を取って冷静さを取り戻す為と風を見るために4周ほど回す。
まだ北西風は強く感じない。深呼吸しながら考える。自己ベストの167キロを飛んでから、ここに来るまで7年も掛った。春は何度も大佐に通ったが来れなかった。そうだいつでもチャレンジできるチャンスがあるわけではない。ただ、京都市の北側突っ込むと降りるとこはないに等しい。時間もなく判断を迫られる、高度は2100m。行こう、向かうぞ延暦寺。

17:35 188km 愛宕山北
それでも引き返すかの見極めの場所と決めた、愛宕山 1900m
L/Dも悪くないし、このまま京北を越える。
京都市が南に広がる。何度も登った愛宕山を見つつ。実家、御所、賀茂川、車で走り回った山道。西日が差して幻想的煌めく。
10年くらい前に京都を越えるときのために、サブランを確認していた。降りれそうなところもあるが上空から見ると無理そうなところもあった。でも、この準備があったから越える挑戦が出来た。地味な努力と準備が効いていると思う。
さて、安全に下せる堅田までは25キロ以上ある。風の変化がないことを祈りつつ進む。

17:48 210km 大原
霊験あらたかな延暦寺を確認。公約を実現出来た。ただ、日没は近い、後方には夕焼け空。
まだ1400m残ってる。滋賀県の堅田には抜けれそうだ。213キロ日本記録の更新を確信して小さく握りこぶしを作ってガッツポーズ。16:25には、降りることしか考えてなかったのに気が付けば、琵琶湖。諦めずに飛び続けてよかった。今日も今までも。

17:53 213km 堅田
記録更新 琵琶湖対岸の守山でライトがキラキラ光出してる。振り返って夕日の高さを確認。日没はもうすぐ。このまま渡れそうだ。

17:56
琵琶湖に入る。堅田でリフトがあったので高度には余裕ができた。安全に渡れそう。

17:58
1400m 森山
越えた、越えたよ琵琶湖。
あとは、このまま距離を伸ばして、安全に降りよう。まさかここまでくるとは予想していなかったので、野洲以東は土地勘がない。薄暗くなった先を確認する。よかった降りれる場所は多そうだ。だが、田畑は多いのだが、電線や小さな鉄塔が目に付く。日没近くて目視しずらい。かなり緊張する。

18:14
400m 竜王
対地高度300mを切って降りようとしてると、3度、フロントワイヤーとスイングラインが緩む。
北風から逃げて南に流したつもりだったが、回して風を確認すると、北東強風・・・。それも荒れているようだ。

18:17 236キロ 滋賀県蒲生郡竜王町着
何とか着地 フレアーも必要ないほどの風だった。
安全を考慮して耕された田んぼの真ん中。ベースバーは畔に載せられたが、足は沈む。
5m以上の荒れた風に翻弄されて15分近く吹っ飛ばされそうになるのを耐え続ける。降りてからも身の危険を感じるとは思わなかった。6時間飛んで、まだキツイ残業があるとは。

それでもなんとか道まで運び、向きを変えてやっとハーネスを脱ぐ。もう日は落ちて辺りは真っ暗に。
喜びをかみしめる前に、暗闇と暴風とに耐えながら、ブレークダウン。
ライブトラックを見て追走していた家族が直ぐに迎えに来てくれた。
妻と車のヘッドライトを見てやっと心に余裕ができた。

両拳を天に突き上げて万歳!

フライト総評

 

春に関西中国からハングフライヤーが集まり果敢に東に向かって滑翔する。 より高く、より速く、誰よりも遠くに。

15年前に氏家さんが大幅に日本記録をここ大佐山で更新した。自分がハングを初めて半年後のことだった。一報を聞いたときはまだまだ初心者。記録の偉大さをただ数字が示す213キロという距離の長さに驚いた。6時間に及ぶフライト、3000メートルを越える高度。聞けば聞くほど、理解できないことばかり。 風の力だけを利用し、無動力で、ハンググライダーの奥の深さと魅力の高さに感動しました。

2020年4月4日 大佐山から琵琶湖を越えて滋賀県竜王町まで236キロを飛び、15年ぶりにクロスカントリー記録を更新しました。

パイロットを取得してから、クロスカントリーに憧れ、そのあと自分も大佐に通い、飛び続けました。 2013年には自己記録の167キロを飛べましたが、それ以降はそれを更新することもできず、日本記録213キロの凄さを改めて大変な距離だと思い知りました。たぶん、これを更新するのは自分のような下手なパイロットではなく、もっと上手いパイロットでないと駄目なんだろうと思っていました。それでも、遠くに自由に飛ぶクロスカントリーフライトは刺激的で楽しく春には大佐で飛びました。

今回、奇跡的に記録を更新することができたのは、途中岩屋山の近くで降りようとしたときに、見事なコンバージェンスに乗れて最後の1時間10分で80キロも飛行することができたからだと思ってます。記録の1/3以上をこのグライドで飛んでます。常には狙っていますが、思うようにはなかなか乗れず、こんなに気持ちのいいグライドなど出来るなどと思いもしませんでした。実力かと言われれば、特別な条件にドアを叩き続けた結果、運よくドアを開けてもらったに過ぎず、回りにいる沢山の上手いパイロットから見ても、まだまだです。ただ15年飛び続けてきたから、開けてもらえたドアだとも思っています。上手くなりたいという思いを持ってこれからも飛び続けたと思います。

今後続くであろう若手フライヤーに。 クロスカントリーフライトは大変に楽しいですが、大気の変動が激しい春などは特にリスクもあります。技術もそうですが、事前準備を怠らないようにし、気象予報、飛んで行く先の地形、体調管理、先人のログチェックなど、飛ぶ前にリスクを減らす為に出来ることは沢山あると思います。楽しいフライトのために事故のないように飛びましょう。

一緒に飛ぶフライヤー、エリア維持に協力してくれる人達、回収に来てくれる人達、沢山のお世話になった人達、支えてくれる家族のお陰で遠くに飛べました。有難うございます。

今後、15年間記録が更新されないことを望んだりもしているが、ここで記録が止まるよりも、フライヤーの目標や夢とされて、明日にでもみんなの努力で記録が更新されることも切望します。