99/7/24〜99/8/8 ITALY MONTECUCCO
[i-team No.446] 世界選レポート事前報告
Date:99/07/24
昨日まで、ドイツのハンブルグにいました。
今晩はここ、ローマに泊まってあす日本チームのいるシジロに向かいます。
今回の世界選手権は、第12回となりました。
基本的に2年に一度の開催ですから、それなりの年輪を重ねたと言えるでしょう。
会場は、イタリア半島の中部ペルージャとアッシジのすぐ近くとなります。半島の北側も南側も海になっているので、大陸性の気象条件とは少し異なるようです。昨年のプレ大会に出場した選手の話では、かなりの強風があたりまえに吹く環境で、競技も強い風をついて行われるようです。
99年HG世界選手権大会の日本チームの選手団は、クラス1に6名のフルエントリーとクラス2に1名の7選手、ならびにチームリーダーのわたしおよびアシスタントの中村ツネ君の総勢9名です。
テイクオフのあるモンテクッコの最寄り町シジロ(Sigillo)には、さらにプレスやボランティアによるサポートが集結し、いつものように日本チームを盛りたててくれるようになっています。
選手は、もう皆さんご存じと思いますが順にご紹介しておきます。
世界選手権常連となりました、峰岸、外村、今回鋭意上位をねらう、大門と鈴木、初出場をおおいに楽しんで力を発揮してもらいたい、波多野および大沼です。日本チームとしての団体成績は、毎日の上位4名の成績の加算によります。
今回正式に開催が決まりましたクラス2(空力的操舵面を持つハンググライダー)の世界選手権には板垣が最新の機体をもって挑みます。
これまで、日本やスペインでオーガナイズはされてきましたがしっかりとした実績は残せていないクラス2で、本格的な競技と世界選手権者の選出が出来る可能性があり、日本選手の活躍に期待がかかります。
それでは皆さん、25日の開会式からは出来るだけ毎日レポートするようにいたしますのでどうぞお楽しみに。
ちなみに、メールで直接お送りしている人たちへは、JHFホームページの「大会報告」の原稿の横流しになっています。
周りの人たちには、出来るだけJHFのホームページを見てもらえるように宣伝に努めてくださいね。よろしくです。
では、また。
[i-team No.447] 世界選レポートその0
Date: Mon, 26 Jul 1999 01:29:59 +0900
From: 内田 孝也
23日にモンテクッコ入りして、噂どおりの大風と寒さに縮みあがっていましたが、24日のレジストレーションを済ませ久しぶりに顔をあわす各国の選手と再会を喜んでいるうち、雨混じりの強風を気にもしないように「飛びに行く」という話になりました。
イタリアの古くからの選手、ブリコリさんがクラス2で出場のため来ているのですが、機体を用意していたテブノさんと出かける段どりをしていたのです。テブノさんもルクセンブルク代表で出場するようですが、他にもここ数日で現地入りしたものの機体のテストがままならないでいる選手は多くいました。
各国の選手に囲まれて忙しいテブノさんをおきざりに、一足先に100キロほど離れた山に行ってみた日本チームの有志は、やっと大会で乗るグライダーが到着してテストする鈴木と、受け取ったグライダーを早速改造している外村、最後の仕上げを確認する大門ら3名です。
モンテクッコの山を、裏から吹きぬける東風の強風は、しかしそこから平野を抜けた遠くの山でも弱まってくれませんでした。
中腹では、期待を持たせる雰囲気でしたが、テイクオフの山頂では60キロ近く吹いている状況でした。
あきらめて、山を下る途中テブノさんからの電話が入ってきました。われわれとは反対方向の北の山に行ってみるということ。まんまと風見になってしまいましたが、しばらくして風もおだやかで良い条件だから早く来いという誘いの電話がまた入ってきたのです。
車に乗っているメンバーはみな信じられない状況でしたが、ともかく雨の中を車を飛ばしていって、本日この世界選手権に参加しているすべての誰よりも幸せな思いをさせてもらったチームとなったのでした。
日が沈む直前までテストフライトして、トップランした3人は大満足でした。特に大門のグライダーの調子よさは絶品で、はじめて見た私は別人のように感じたほどでした。
今は、これを昨日と同じテイクオフで書いています。オープニングセレモニーが午後8時から予定されている25日の日曜日です。
クラス2の機体をテストしたい板垣といっしょに上がってきたのですが、さすがに今日の天候では雲底が低く雨も混じっています。少しの晴間をついて、テストフライトの予定です。
そして、やりました。今日も日本チームは恵まれました。ガスの切れ間をねらっての一本でしたが、テストフライトができ、これでチーム全員安心して本番に突入です。一抹の心配は、水曜くらいまで(4日間ほど)天気が回復しそうにないという噂が、選手の間に流れていることです。
では、次からの世界選報告のレポートをお待ちください。
チームリーダー 内田孝也 現地7月25日午後6時
[i-team No.449] 世界選レポートその 1
From: "内田 孝也" on 99/07/27 15:29
ファーストブリーフィングが終わり正式に大会が始まりました。一昨日が開会式の日でした。この様子は、別にレポートを送ります。
今回の世界選手権には、あのトーマス選手はエントリーしていません。セールプレーンの世界選手権に行ってしまったそうです。ギド、ルーマーの二人は参加しています。もちろんオレグ選手もいます。ドイツのグッゲンモスさんはクラス2での参加です。
詳細の報告は、次のレポートですることにしますが、26日第一日目はフォローと雨でキャンセルとなりました。
各国の選手が、練習日に使ったテイクオフに向かい、テストフライトをしましたが、日本チームにはちょっと事件がありました。忙しくなり、レポートを書く時間が取れませんでした。
今日27日には、風はフォローですが昼過ぎからできるかもしれません。これからブリーフィングに行ってきます。
チームリーダー 内田孝也 現地7月27日午前8時半
[i-team No.450] 世界選レポート短信
Date: Wed, 28 Jul 1999 15:34:46 +0900
From: 内田 孝也
日本の皆さんごめんなさい。詳細は、その2その3、および開会式編で、ちゃんとお伝えします。
昨日、27日の競技は、両クラスとも成立しています。それぞれ63,82キロのタスクで、クラス2のほうが短くゴールも出ました。
大門選手が、大活躍。トップグループ5機でゴールに迫りました。
昨日お伝えしますといった事件とは、大沼選手の骨折です。非常に残念なことに、右手首をくじきレントゲンの結果わずかですが折れ目が写りました。
チームリーダー 内田孝也 現地7月28日午前8時半
[i-team No.451] 世界選レポート開会式編
From: "内田 孝也" on 99/07/29 05:33
その1でお伝えしたガスをぬってのテストフライトの晩、8時からレセプションが行われました。
みんな、ユニフォームを着ておめかしなのですが、夏の大会ということで下が半ズボンです。雨が混じる天候で、風も随分強く寒いので、各自工夫をしてました。
村の指定場所に集合しても、例によってなかなか始まりません。何と初参加の大沼さんが鼻を利かせて、パーティー会場の入り口
にいちはやく日本チームは陣取ってしまいました。パトカーに乗った女性村長さんがみえて、生ハムワイン好き放題のレセプションが始まりました。
飲み食いするうちに、雨は上がりワインと人の熱気で十分からだが暖まりました。そこを見計らったように、10時から、各国チームのパレードが行われ、鈴なりの人に囲まれた街の中心広場に入場しました。日本チームには「ナカター」のかけ声がかかっていました。小さな村の広場ですから、各国の選手ですぐいっぱいになってしまいましたが、どこか人ごみの向こうでしゃべっているご挨拶はそこそこに、聖火のような燭台に点火してパフォーマンスが始まりました。
さて、ここからが面白かったのです。
広場の正面にある古い教会に内側からライトアップがつき、その壁に巨大なスライドを映写して何やら物語が始まりました。
イタリア語だからなんて言ってるのかぜんぜんわかりません。ふーん紙芝居かなあと思っていたら、教会のてっぺんの鐘楼から白装束の女の人が外壁に出てきて、壁に立ち壁を蹴って宙に浮いて空中ダンスを舞いながら地上まで降りてきたのです。地上には、人の2倍の背丈に仕掛け車で持ちあげた女の人が、貴族の舞踏会の仮面をかけて2人も歩きまわります。
それだけでも、拍手喝采で見とれていましたが、ここへたまげたことに巨大な風船にぶら下がった美女が、本物の空中ダンスで現れたのです。バルーンは内側からライトアップされ、青いバルーンと白い衣装の空中ショーに続いてもう一人白いドレスをなびかせオレンジのバルーンで登場してクライマックスとなりました。本当に上がったり下がったりあちらこちらと飛びまわります。とても幻想的で歓声が上がりました。
締めくくりは、初めの女性が再び壁伝いに昇っていき、鐘まで上がっていきました。お話としては、きっと何か物語を語っていたのでしょうが、鐘からまいた紙吹雪が折りからの強風でそれ自体踊るように舞いそれは奇麗に見えたのです。
このパフォーマンスが終わって、興奮気味に観衆が解散したのはもう12時を大きく回っていたのでした。
[i-team No.452] 世界選レポートその2
From: "内田 孝也" on 99/07/30 04:06
今これを書いているのは、もう大会4日目の7月29日です。
まだ、成立は第二日の一本のみで、今日もタスクは見送られています。明日からの三日間は良い天気でサーマルコンディションが続く予報でいます。
このレポート2では初日の状況を、続いてその3で成立した2日目の様子と詳しい成績をご報告します。
7月26日は、大会初日。
事前に情報のあった25日のレセプションの日のファーストブリーフィングは繰り延べされ、この初日の朝8時半からのチームリーダーブリーフィングでやっと大会の公式アナウンスがスタートした。レジストレーションの締切り24日昼から、丸一日半過ぎている。
大会の運営を話し合った後、天気情報が説明されここ数日モンテクッコに裏からの強風と雨をもたらしているのが、イタリアの上空を行ったり来たりして居すわっている低気圧のせいと判明した。この低気圧の動きが予測しづらく、初日午後には飛べるようになるだろうが北東の強めの風は変わらないということだった。
オーガナイザーは、初日をキャンセルし明日の好転に期待をかける事になった。
前日、ガスの合間をぬってテストフライトしたのに比べれば、かなり良さそうである。日本チームも5名の選手がテストを兼ねて、行きなれてしまった北方のピエトララタのエリアに向かうことにする。
チームリーダーとアシスタントは、選手団がドイツで調達してきたレンタカーの保険にドライバー登録の必要があるので、ファブリアーノという町へ別行動で移動する。フライトする選手には、ボランティアのツラ君がドライバーとして付き添うこととした。
24日に日本チームとテブノ、ブリコリ選手だけが良い思いをしたというエリアの噂は、相当広がっていて、この日のテイクオフには結構な数の選手が集まっていたようである。雲はかからず、かえって弱すぎるくらいの風で、早めに出たなかにはぶっとぶ者もいたくらいだった。
日本チームは、ほぼ調整は終了しもう一点変更を試そうという大門、昨日ガスをついて初めて今度の機体を飛ばし少しでも飛んでおきたい板垣、受け取ったグライダーをいじりながらテストを繰り返す外村、鈴木、大沼である。日本チームの先頭をついて、テストフライトに出ようとした大沼に異変がおきた。そよという程度の風に向けて走り出したものの、空中に出たグライダーに力がない。ふらふらと右にとられて翼端から斜面にあたってクラッシュしてしまった。CGに対してコントロールバーの位置調整をしたばかりのテストだった。
チームリーダーは、夕方6時過ぎキャンプにいて、まだフライトから帰ってくるには早すぎるという感じの時間に電話を受けた。一応必要な全員のテストはしたうえで、帰り道に伝えてきた情報は、「捻挫だけなら良いが、ショック症状も少しあり、病院での確認が必要」ということだった。30分ほど離れた町の病院に診断の手配をし、戻った大沼と向かう。公式競技を直前に事故を経験した大沼の気持ちが痛いほどわかる。X線写真は、非情にも軽いながら間違いのない骨折を写し出していた。
右手首、腕の太い方の骨の首のくびれのところがいっていた。いろいろ抵抗する大沼に、英語の通じないイタリアの医師と医療士は、厳しい顔で理解できない(が良くわかる)説得をしごついギブスをはめてしまった。8月21日まではずせないと宣告された。戻った大沼に、みんなかけようの無い言葉をかけた。
まだ、本人は痛みがひけばギブスをはずして飛ぶ勢いだった。
ともかくも、落ち着きを取り戻して休もうとしたチームに、次の問題が振りかかってきた。
キャンプにいっしょにテントをはっている「もとき」君が、日本チームとは別に隣の部屋のスウェーデンの選手に飛びに連れていってもらったのだが、その選手が一人で戻ってきて「帰ってないか?」と聞いてきた。もう、11時をまわっている。捜索隊を組織して出かけた。
ピエトララタの、降りそうなフィールドをめぐっている一行に電話が入ったのは12時すぎだった。アメリカチームにランディングで拾われて、そのままいっしょにいたらしい。どうやらこれは彼らしいということで、翌日チームと行動をともにするために気をつけなければいけないことについて、複数の選手から強い注意を受けていた。ハング留学中の身からすれば、必ずしも日本チームに拘束する必要も無いので、本人が自分に責任を持てればもっと自由にして良いとは思うのだが。
大会初日、公式競技の無い中で、思いがけず大変な一日となった。
大沼さんの勢いが空元気でなければ、チームのためには骨が折れていようが飛んでもらうほうが良いと思いながらベットについた。選択肢はほとんど無いが、公式競技の始まる前で、選手差し替えの最後のチャンスが明日の朝であり、チームリーダーとしての権限と将来にわたるチームの運営の問題を一人で検討した結論だった。この事は、戻ってHG競技委員会と話し合わなければいけないだろう。
チームリーダー 内田孝也 現地7月29日午後2時半
[i-team No.455] 世界選レポートその3
Date: Sat, 31 Jul 1999 04:17:58 +0900
From: 内田 孝也
7月27日は、大会第二日目。
予報では、昼ころには北風も弱まり南西からのサーマルブローが入るということだった。
テイクオフを、メインのモンテクッコの南にあって山並みの裏側に向けて飛ぶエリア、トレピッツに定め初フライトの準備にかかる。12時に山頂でブリーフィングということで、10時ころにチームリーダーブリーフィングが解散したが、山頂まで1時間ほどドライブにかかる。各国もおお急ぎでの行動だったが、はじめにクラス2を出し、その後にクラス1を出そうという運営は、なかなかスムーズにいかずクラス2はゲートクローズ後に出る選手が6機にも達してしまい、本来ならゼロ点だが一本目だけはペナルティで減点処理とする措置がとられた。
クラス2とクラス1のタスクは、微妙に違うコースをいったん南に20キロほど下り再び北上してテイクオフを通り、20キロほど北のパイロンでまた折り返して南下した後テイクオフ下のメインランディングにゴールというものだった。
山並みはほぼ南北に走っている。
北風が弱まる予報は外れ、いつまでも北東風が強く、リフトもすぐに弱くなってしまった。タスク距離はクラス1が82キロ、クラス2のほうが短く63キロである。テイクオフの時間と、スタートゲートの写真がほぼ45分遅れで両クラスのレース・ツー・ゴールが始まったが、さすがに先行するクラス2は早い、クラス1の選手が南のパイロンをクリアしてテイクオフ前に戻るころにはスウィフトがゴールしてきた。
クラス2一位のジョニーカー(英国)選手だ。
続くATOSのゴールは5分遅れ、2、3機ずつあいだをおきながら12機がゴールした。
クラス1はあとからのスタートで、弱いリフトと北風のヘッドウィンドでなかなか進めない、テイクオフ前まで戻ってきても中腹以下の高度に落ちてしまうとほとんどリフトが見つからない状況である。
結果として、クラス1のゴールは出なかった。
ほとんどのパイロットが2個目の北のパイロンまでは撮れずに降りてしまい、峰岸、鈴木、外村もテイクオフ前まで戻ったところでおしまい。波多野が「復活ーっ」と元気を取り戻したが北のパイロンに肉薄したところで北風に耐えきれなかった。
そんな中、大門はトップグループをギド、オレグ、ベッチーニョ(ブラジル)らと形成し最後のパイロンもクリアしてゴールに迫った。大門の順位は14位となった。
クラス2の板垣は、少し違うコースの北の第2パイロンをクリアしたところで、他の多くの選手とともに降りてしまった。この後、峰岸の写真がパイロンありなしでもめたが、結果として以下の成績が確定した。
クラス1
1位 ジェラルドテブノ 77.6キロ 497点
2位 ゴードンリグ 77.2キロ 496点
3位 オレグボンダーチュク 77.1キロ 495点
同着4位 ギド・ベッチーニョ他2名 76.3キロ 492点
14位 大門 75.4キロ 485点
17位 スティーブモイス 75.1キロ 481点
25位 マンフレッドルーマー 59.3キロ 404点
42位 波多野 44.6キロ 337点
74位 鈴木 34.0キロ 254点
77位 外村 33.7キロ 252点
95位 峰岸 32.1キロ 231点
クラス2
1位 ジョニーカー ゴール62.1キロ 745点
2位 クリストフクラッツナー 690点
3位 ハンスジョーグトルットマン 631点
18位 板垣 40.5キロ 202点
#クラス2の競技選手数は、25名である。
国別成績
(クラス1は上位3名、クラス2は上位2名で決定)
クラス1
1位 ブラジル
2位 イギリス
3位 フランス
10位 日本
クラス2
1位 ドイツ
2位 スイス
3位 イタリア
8位 日本
#クラス2は2名以上参加の国が10ヶ国中7ヶ国あり、1名参加の 日本は8位が最高順位です。
以上、遅くなりましたが報告です。
今日は大会5日目、同じトレピッツでの競技が成立しました。今大会2本目の競技です。追って、成績出次第報告します。
それでは。
チームリーダー 内田孝也 現地7月30日午後9時
編者注:どうも現地からのレポートがうまく送られてきていません、一部想像してお読み下さい。
[i-team No.456] 世界選報告その4
From: "内田 孝也" on 99/08/02 18:12
いました。
さて、競技の成立した二日目の状況を、その後二日間不成立の後をしたよ、という報告とともにお送りしたのが目の競技が成立しています。
振り返って、二日目27日のあとの状況からお話します。
いろいろ注文がつき、CIVLスチュワードを求め、クラス1と、クラス2は同じタスクを使うことや、パイロンは地図上で明確に示すことなど峰岸に限らず、間違ったGPSデータによって混乱したブルまでは少なかったようだが。
ーガナイザーにとって代わってもらいたいくらいなのだが、あくまでも主催者はイタリア
ーションである。
28日はクラス1と2はスタート時間だけを(安全のために)ずらすこと
エリアのモンテクッコの南向きテイクオフにあがった。
ある」と言っていたストームがテイク
にキャンセルとなった。
ストームにあたる前に飛べと言うことで、たたまない選手はみな大急ぎ
ィングにすっとんで行ったのだが、日本チームのメンバー
いていた。
そして、ずぶ濡れになった。
この日の午後は、前述の峰岸の写真トラブルの解決に、ほとんどの時間を費やした。ここで大きく力を貸してくれたのがデニス氏であった。
、天気予報が行動を決した。
相変わらず北東風が強く、高気圧の張り出しがもう一つ足りないと
ら3日間の好天気が期待できるという内容に、
話がキャンセルだが、見送りという状況で、予報官もテイクオフ
イミングを図るには午後から良い状況になると
タのテイクオフにテストフライトに向かった。
良くあがり、それぞれトップランを2、3回繰り返して調整をすることが
ライト日よりだった。
と同じトレピッチで成立した。
ゴールは13人。大門はゴールまであと5キロにせまって、この日16位につけた。
※今日8月1日に仮成績のFIXなので、次のレポート5にて、今日の競技内容とともに詳しく報告する。
、世界選手権らしい
ビッグフライトのレースになるはずの予報だった。
ところが当日の予報は、少しトーンダウンし朝から吹いている北東風が
「はず」という内容になった。
前々日には、自ら首つり用の紐を用意してきて、気象協会の予報を
分でも確信できないところがあると白状している
ような予報官なので、それはそれとして、オーガナイザー側の動きが
国の特に競技を良く知っている選手が反対するのに、必ず飛べてるピエトララタでなく、南の平野の西に位置するモンテパンコというテイクオフに移動が決まった。
タスク設定して、そこそこのコンディションと思ってみんなが飛び出し
からなめるダマシの風で、強風に翻弄されながら
あまりの状況に、テイクオフを見合わせる選手が続出し、しばらく後にはキャンセルを宣言せざるを得なくなってしまった。
一部の有力選手は、それでも悠々とあげてみせていたが、レースには
。
そして今日8月1日は、再びテイクオフをトレピッチに移動し、メインのモンテクッコに戻る80キロのレースが行われた。
毎日目の前で起こるのだが、初めまったくあがらない状況にクラス1と2を混ぜた190機がテイクオフ
になっている。
、レポート6あたりに譲りますが、それでもたくさんのゴールが
戻ってきて、日本チームでは大門選手がゴールメイク、板垣選手が
来ました。
2本目では、マンフレッドがクラス2をもぶち抜く脅威的なスピードを
今日もオレグと二人でファーストゴールでした。
の順位がどうなってくるか注目の
的です。総合で1位にいたテブノ選手は、今日の結果でマンフレッドに
のではないかと日本選手通しで話しています。
それでは、また。
編者注:とうとうイカレタようです。内田さんご苦労さまです。
[i-team No.457] Trouble
Date: Tue, 3 Aug 1999 16:41:29 +0900
From: 内田 孝也
HI. everyone.
I am sorry about no report.
I am in trouble with gear I bring.
May be send report by FAX, so
please checkJHF web Pages.
Bye,now.
Takaya Uchida 8-3-1999
編者注:ご苦労さまです。頑張ってレポートして下さい!!
[i-team No.458] これでどうかな
From: "内田 孝也" on 99/08/05 02:58
内田です。
日下部君うまい方法(?)が見つかった。
改行が、コピーペーストで悪さするので、改行なしでアップします。
手初めに、FAXで欠けたところを送ります。
タスク設定して、そこそこのコンディションと思ってみんなが飛び出したら、斜面を横からなめるダマシの風で、強風に翻弄されながら谷底に降りていく。あまりの状況に、テイクオフを見合わせる選手が続出し、しばらく後にオーガナイザーはキャンセルを宣言せざるを得なくなってしまった。一部の有力選手は、それでも悠々とあげてみせていたが、レースには到底ならなかった。
この調子で良ければ、これからもこうしようかな。
では、また。
[i-team No.459] 世界選報告その5
From: "内田 孝也" on 99/08/05 15:17
世界選報告その5:内田です。
メールで受け取る人はたいへん読みにくいかもしれません。通信環境の都合で改行を入れずに送信しています。すみません。
さて、7月30日の2本目は27日の初めてのタスクが南に振りすぎて北風にはばまれゴールが出なかったので、距離的には同程度でも北よりの山沿いでタスク設定された。
1本目にクラス1と2とがうまく運営できなかったので、タスクとコースは同一でクラス2のスタートがクラス1のスタートゲートより15分早く設定されるというやりかたになった。この、先に走るクラス2のグライダーがマンフレッドのダミーになったのか、それすら関係なかったのか真偽はわからないが、先行車を走らせてテイクオフで様子を見ていた私の前で早々と南のパイロンから戻ってきたATOSをルーマーが追いかけ、次のサーマルで追い越していった。
はじめのパイロン前後で降りてしまった、板垣、鈴木を回収してゴールに着いた我々の前では、ルーマーから遅れること1時間以上でテブノほかの集団がぞくぞくゴールした。最後の南向きレグでサーマル終了となってしまった、オレグ、ギド、大門らはゴールまで5キロほどを残してランディングした。ラストパイロンの手前で終了してしまった峰岸、波多野はこの日の27位、30位に位置した。
GAPシステムというのは、公平な点数配分になることが売り物なのだが、1本目も2本目も1位が500点以下になってしまうのが、特にこの日のタスクはゴールが出ているのにもかかわらずそうなってしまうことが素直に理解できない。外村は、発表スコアが距離として少なすぎたので文書で抗議を申し入れて、公式資料は配られていないが36位近辺にランクされた。
2本の総合成績で、1位はジェラルドテブノ、2位ウォルフアンドレ、3位マートスペドロとなり、大門は11位、波多野31位峰岸45位外村58位鈴木96位となっている。板垣はクラス2で19位だ。無念の負傷でフライトを見合わせている大沼は、ギブスの腕で飛べるようになるまで執念を捨てず、テイクオフサポートに回っている。
国別では、ブラジルの活躍がめざましい。連日ベスト10に3名以上送り込んでいる。前回まで日本チームの良きライバルであったことなどうそのようで、ぶっちぎりのチーム1位を誇っている。
日本チーム チームリーダー 内田孝也 現地8月4日午後11時半
編者注:あれっ、また調子悪いのかな?
[i-team No.460] 報告その6
"内田 孝也" on 99/08/05 15:20
することにして、3本目の成績を羅列します。
クラス1:3本目単独成績
1位マンフレッド634点
2位オレグ629点
3位ベッチーニョ605点
25位大門447点
54位峰岸328点
68位外村269点
96位波多野212点
121位鈴木98点
クラス2:
1位トルットマン(ATOS)906点
14位板垣344点
総合成績では1位1526点 2位1507点 3位1499点で12位の大門は1304点になっている。
日本チーム チームリーダー 内田孝也 現地8月5日午前8時
[i-team No.461] 短信2
From: "内田 孝也" on 99/08/06 04:06
世界選短信2:内田です。
今日は8月5日、大会7本目が成立しました。昨日まででマ
ンフレッドルーマーが9点差でブラジルのアンドレアをかわし、今日は完全マークしてのゴールでした。大勢が雨にあってきれい所が皆降りてしまった4本目が、まだ報告していないどんでん返しの日だったのですが、そこから再び追いあげての1位です。
残すところあと2本となり、永年の雪辱のタイトルを手にする確率が高まっています。本人は相当なプレッシャーだろうと、外野で言っています。
大門が、昨日ゴールできなかったので落ち込みが心配でしたが、今日は峰岸とともにゴールをきめ、久々の日本選手の上位成績の期待もふくらんでいます。国別では一時11位に落ちましたが、昨日までで再び10位です。なかなか良いところの出せなかった選手も、それぞれ見せ場を持ててきて士気はあがっています。
がんばってます。 現地8月5日午後8時50分
[i-team No.462] 報告その6再送
Date: Fri, 06 Aug 1999 17:48:26 +0900
From: 内田 孝也
世界選報告その6:内田です。
今日はもう8月4日です。8月1日以来連続4本成立しました。コンディションは徐々に良くなり、昨日3日が最高でした。その間にも、短時間での天候の変化によって思いがけない展開が出るなど、タスク設定にもフラストレーションの感じられる内容です。オーガナイザーが大会慣れしていないという印象です。それでは、1日より順に説明していきましょう。
8月1日は、通信トラブル前に簡単にお伝えしたように大門が絶好調でゴールに到達し、板垣がゴールまであと少しのところで雲に覆われサーマルが切れてしまった。タスクは、それまで2本成立したトレピッチに戻り、前日のひどいテイクオフコンディションのモンテパンコの記憶を引きずりながら、東風が強くなるという気象予報にあわせ、北へふってから大きく西を回ってメインのモンテクッコのランディングにゴールするものだった。この3本目のタスクはゴールが32名出たがトップのスコアは634点どまりだった。パイロンは、北へ約45キロの一つ目ののち西の山並みで2個こなしてからゴールへ来るものだった。大門、板垣以外の日本選手はみな、第一パイロン近辺で沈没した。
この日の成績と、総合順位はこれまでの世界選手権同様個人的に力のある選手のランキングを示していて、1位マンフレッド、2位オレグ(ワンツーフィニッシュだった)3位ベッチーニョという顔ぶれだったし、いつもどおりの世界選手権の本番始まりという感じを受けた。
[i-team No.463] その6再送分割
Date: Fri, 06 Aug 1999 17:50:47 +0900
From: 内田 孝也
この日の成績と、総合順位はこれまでの世界選手権同様個人的に力のある選手のランキングを示していて、1位マンフレッド、2位オレグ(ワンツーフィニッシュだった)3位ベッチーニョという顔ぶれだったし、いつもどおりの世界選手権の本番始まりという感じを受けた。
総合ではマンフレッド1位、19点差でマートスペドロ2位オレグ3位クリスアライ4位だった。日本チームでは、大門12位、峰岸46位波多野49位外村67位鈴木110位、および板垣19位(クラス2)となっている。
ラストレグは強い
ヘッドウィンドになる状況になり、ゴールに数キロショートという選手がずいぶんたくさんいた。
報告4で書いたように、サーマルは初めから弱く、この日からクラス1と2のスタートゲートを同じ場所時間にしたために、ウィンドウオープン後190機以上のスウィフトを含むグライダーがテイクオフ近辺のリッジでほぼ同高度のセンタリングを続けたときは、ぶつからないほうが偶然でラッキーだったように思った。
そして、次の日はもっと難しい日になった。タスク発表直後から、良く知っている選手からは文句が出ていたが、1つめのパイロンが標高高くて撮りにくいとのこと、また、コース上に小さなストームが発生して展開を狂わせた。
その話は次にすることにして、3本目の成績を羅列します。
クラス1:3本目単独成績
1位マンフレッド634点
2位オレグ629点
3位ベッチーニョ605点
25位大門447点
54位峰岸328点
68位外村269点
96位波多野212点
121位鈴木98点
クラス2:1位トルットマン(ATOS)906点
14位板垣344点
総合成績では1位1526点 2位1507点 3位1499点で12位の大門は1304点になっている。
日本チーム チームリーダー 内田孝也 現地8月5日午前8時
大きすぎて、うまくなかったので2つに分けました。
[i-team No.464] 世界選報告その7
Date: Sat, 07 Aug 1999 15:29:31 +0900
From: 内田 孝也
世界選報告その7:内田です。
今大会ではコンディションの急変などでたくさんのパイロットがコース上に降り、そのあとに粘った集団がゴールするという、トリッキーな日が7本のうち2回ほどおきている。8月2日がその初めで、東向きのエリアトレピッチからの3本をこなしたあとの、メインテイクオフを初めて使う日だった。サーマルコンディションは前日同様あまり強くないと思われる空模様で、山の上の風が東から西へスイッチするかどうなのか予報官とオーガナイザーが迷う日だった。
結局両側へテイクオフ可能なモンテクッコの北向きスタートでタスクが決まった。前日と同様北へモンテクッコの山並みを北上し、西の低い山並み沿いにメインランディングに戻ってくるコースだ。一番北の1番パイロンを使うという発表に、雲底が1700mの予報の日に1500mのパイロンを使うのは無理だという抗議があがったが「パイロンは下から撮っても良い」と聞きいれられなかった。のちに抗議されるが、スタートタープがコースと反対方向にセットされ、あまり高度を取れない集団がすれ違う。そのまま北西に進んだ一団は、1番パイロンの近くまで行ったところで発達した積雲に影を作られ雨まで受けてしまった。
このトップグループには、大門、鈴木、板垣がいて、テブノやルーマーなどほとんどの有力選手を含む25名が1番パイロンの麓に降りた。雲の影響が大きく、そこでは今日のレースはここでおしまいという納得感が各選手のあいだにあり、特にマンフレッドが降りてきたときには、先に降りていた20名以上の全員の口元がニヤーとゆるんだということだった。ところがである、この日に限って6種類ものタープの組み合わせでスタート時間の選択幅が広げられたのだが、ほぼ最後か一つ前のスタートを切ったイギリスチームが6人の選手全員をゴールに送り込んだのだ。そしてブラジルも3名の選手がゴールした。
[i-team No.465] 報告その7(分割)
Date: Sat, 07 Aug 1999 15:31:51 +0900
From: 内田 孝也
そしてブラジルも3名の選手がゴールした。日本チームでは、外村、峰岸が生き残り前日のコースでの知識を生かしてゴールにせまった。もう一つサーマルが間にあえばゴールだったが、最後の山越えで麓に降り32,33位となった。ゴールメイクは24名出たのだった。
これらの結果、4本目までの総合で上位選手に大きく変動が出た。総合1位から5位までをブラジル選手3名とイギリス選手2名で占め、オレグとルーマーが同点6位、大門は17位と後退してしまった。国別でも、これでイギリスがオーストリアをかわしブラジル、イギリス、オーストリアの1,2,3がほぼ確定してしまった。
ここまでの総合成績を大門まで紹介しておく。
1位マートスペドロ(ブラジル)1995点
2位ウォルフアンドレ(ブラジル)1940点
3位バーンズアラン(イギリス)1841点
4位ニーメイヤーカルロス(ブラジル)1819点
5位リグゴードン(イギリス)1815点
6位ボンダーチュクオレグ(ウクライナ)1792点
6位ルーマーマンフレッド(オーストリア)1792点
8位クックスティーブ(イギリス)1761点
9位レイジンガーロベルト(オーストリア)1695点
10位モイスステファン(オーストラリア)1689点
11位ゲアマンギド(ドイツ)1688点
11位ハリマーティン(スイス)1688点
13位テブノジェラルド(ルクセンブルク)1671点
14位アライクリス(アメリカ)1664点
15位ウォルベクリチャード(フランス)1649点
16位シュミッツベッチーニョ(ブラジル)1587点
17位ダイモンコージ(ジャパン)1570点
日本チーム チームリーダー 内田孝也 現地8月7日午前7時
[i-team No.466] 世界選その8(1)
Date: Sat, 07 Aug 1999 15:34:13 +0900
From: 内田 孝也
世界選報告その8(1):内田です。
今日8月7日が最後の競技日となりました。レポートの送信が遅れていて報告7までで4本目までしか進んでいませんが、その後の4本は連続してサーマルコンディションでレースが出来ています。ここで8月3日から6日までの様子をいちどにご説明しましょう。
3日は、やっと世界選らしいコンディションに恵まれ、初めて100キロを越えるタスクが設定された。クラス1とクラス2の運営については、初めはコースまで分けようとしてやりすぎ、その後はスタートまでいっしょにしたために各国からクレームが出ていて、この日からやっとスタート位置が違ってタスク設定はいっしょ、スタートタープの選択肢をクラス2のほうが早く展開するようにする運営に落ち着いた。
テイクオフははじめてメインのモンテクッコ南向き。スタートしてまっすぐ南下し、パイロンで折り返してから西に少し離れてあるアッシジの高い山に移って遺跡のパイロンを撮り、北上してメインランディングゴールというタスクだった。アッシジの第2パイロンまでは先頭集団の先頭を板垣が引っ張っていく。その集団で大門、外村が板垣とともにゴールし、波多野、峰岸は少し後ろを単独フライトとなりサーマルの弱まりとともにゴール前で降りた。クラス1のゴールメイクは61人となり始めてトップが900点を越えた。クラス2は21人ゴールで板垣は12位だった。
日本チーム チームリーダー 内田孝也 現地8月7日午前8時
[i-team No.467] 世界選その8(2)
Date: Sun, 08 Aug 1999 04:03:11 +0900
From: 内田 孝也
世界選報告その8(2):4日は、6本目。またも大勢がコース上に降りた日になった。タスクは、モンテクッコのメインテイクオフから南へ下り、折り返して山並みから西の沖に離れたパイロンを撮った後、北の定番になったパイロンで再び折り返して、メインランディングの近くのパイロンを撮ってからゴールというコースだった。
前日が今大会で最もサーマル条件の良い日だったが、そのコンディションに近いとは言っても上空に高層雲が西から張り出してきてしまった。皆、雲の動きをにらみながら急いで走るが、沖のパイロンを撮るころが最も暗くなってしまい、サーマルがなくなった。その中を粘り通した選手だけがゴールしたのだが、大門と峰岸は北へ向かう途中で降りてしまった。沖へ渡る前に、雲のかげりをやりすごそうとしてねばった外村と、少しの晴れ間のあるうちに沖のパイロンに突っ込んだ波多野は、別々に同じところへ降りてしまった。大門に少し遅れて沖のパイロンをクリアした鈴木と板垣が北へ向かう途中の低い山並みでねばってあげ、それぞれゴールを決めた。
クラス1では31名ゴールメイクで鈴木は27位で初ゴールを決めた。通称「ゴールしない友の会」のメンバーはこれで脱会者が連続2日発生し、残るメンバーは2人となってしまった。板垣は、連続2本ゴールを決めご機嫌だ。ルーマーは、トリッキーなストームでイギリスとブラジルに出し抜かれた日以来、猛然とチャージして連日トップゴールを決めている。空中でも、選手が軽くあしらわれる場面にあったりしているようである。とにかくすごいという評判で、まったく勢いにかげりはない。
この6本目はトップで664点しかつかなかったが、たった二日でブラジルのウォルフアンドレを抜き9点差で総合1位になった。初日に25位でスタートして3本目には1位になっていたのを、4本目で6位に落ちても続く二本で再びトップに立つ。GAPシステムがやはりたくさんゴールする日にスピードの早いものに多くの得点を与えるという得点方式なのも、マンフレッドのような優れたパイロットに相応の評価を与えている。今日7日は最終日で、テイクオフにドイツに暮らす関西出身の湯浅君が現れました。皆さんも、オフィシャルホームページで成績表が見られているとの情報をいただきました。こちらからの成績送信は割愛して、情勢報告に専念したいと思います。
日本チーム チームリーダー 内田孝也 現地8月7日午後8時
[i-team No.468] 世界選その8(3)
From: "内田 孝也" on 99/08/08 17:42
世界選報告その8(3):
5日と6日には、マンフレッドは守りのフライトに入っていた。ウォルフアンドレを完全にマークし、それでもトップグループでゴールに現れる。そして点差を広げていった。4日にすでにオーガナイザーからは7日の大会終了日まで、可能ならばレストデーは設けずに競技を連続すると宣言されており、サーマルコンディションは低下傾向な予報でも、あと何本とカウウトダウンしながら毎日が過ぎていく。
5日は、残り3本という最後の詰めの、そしてまだ形勢逆転の可能性の大きな、大会のクライマックスを迎えるところだった。ここのところ、日本チームは国別成績ではウクライナをかわして9位に浮上するなど、10位争いにも力が入っていたのである。朝のチームリーダーブリーフィングで、風向がかなり南に振れてきていることから、今大会では初めて使うアッシジのモンテスバシオのテイクオフに移動することになった。
山にあがるにつれて、逆転層がテイクオフより下にくっきり見えてくる日であった。5本目にパイロンとしてこの山沿いにアッシジに来た日本チームは、「あんまりあがんないんだよなここは」などと愚痴っている。実際競技は最高高度のあまり高くない中での進行とな
った。テイクオフでパンクのためタイヤ交換をするうちに、パイロットブリーフィングの時間になった。車をツネ君に任せてかけつけると、スチュワードのデニス氏から重要な発表があるという、緊張したらクラス2にスウィフトで参加のイギリスチームジョニーカーが、本日50歳の誕生日という発表だった。テイクオフに響くハッピーバースデーの合唱はハングの世界が世界広しと言えどみんなの心のつながる一つのコミュニティであると伝えていた。
[i-team No.469] その8(3)分割
From: "内田 孝也" on 99/08/08 17:46
テイクオフに響くハッピーバースデーの合唱はハングの世界が世界広しと言えどみんなの心のつながる一つのコミュニティであると伝えていた。じつはこれに先だって、クロアチアチーム(よりによって)がスーパーマーケットの駐車場でプロの犯行と言われる盗難にあっていた。当座はハングコミュニティの協力による機材貸し出しでしのいでいたが、各国パイロットのカンパを集め3名の選手の補充に充てようという動きもとられていたのだ。
世界選手権への参加国が増えてきた中でCIVLには安全のためという理由で金のかかる国際大会での実績を参加条件にしようという動きもあるが、経済状況のはかばかしくない国のハング振興を考えると個人的にはどうかと思うのである。
さて、7本目の競技だが、今大会2度目の100キロ超のタスクが組まれた。ぐっと南へ下り、そこから折り返して北の定番パイロンまで戻り、そこからは前日と同様のゴールコースだ。これまで好調にかつ確実に上位成績をつみ重ねてきた大門が、前日にゴールできず総合で20位に後退し落ち込みが心配だったが、第二集団くらいでゴールした。
峰岸はテイクオフでの事件に腹をたて、その怒りをエネルギーにしたか、外村がグッビオの町で4本目と同様に苦しむのを置きざりにしてゴールに飛び込んだ。外村は結局前回と同じく西の低い山並みの麓に沈んでしまい、雪辱はならなかった。
板垣は、クラス2もスタートパイロン位置以外は同じコースであり、いっしょに飛んでいたが、ウォルフアンドレを牽制するルーマーのいる一団とコース途中でいっしょになり、同時に飛ばし始めてあえなく撃沈した。
波多野と鈴木は、途中メインの山並みと西の低い山並みにコースを別れて進んだが、大体同じような距離までで終わった。
この日7本目の総合では、大門は堅く20位をキープして終わった。
日本チーム チームリーダー 内田孝也 現地8月8日午前3時
Subject: [i-team No.470] 世界選その8(4)
From: "内田 孝也" on 99/08/08 17:48
世界選報告その8(4):
6日の8本目は、再びメインテイクオフに戻り、ブルーなサーマルの良いコンディションという予報のもとに、南へ走ったあと大きく西を回って戻る100キロ超のタスクとなった。明日の最終日を残して、この晩9時半からパーティーをやるから全員集まれと、オフィシャルは浮かれている。
日本チームは前日に11位に後退した国別順位をベストテンには戻そうと気合が入っている。日差しは、さえぎる雲もなく、かなり暑い。スイスなどから、クラス1と2のタスクをまったくいっしょにするのは、やはり危ないので分けて欲しいという要求があり、この日は少しパイロンとコースも異なる。
ウィンドウオープンとともにいつものように早々と出ていく日本チームは、テイクオフ周りでは順調に高度を獲得し、挽回をねらう大門以外は早いスタートマークを撮って進みはじめた。先行する回収車の無線を聞きながら、打ち合わせのポジションにつくために下山した私の車が予定地に着く前に「低い。リフトが見つからない」と選手の声が聞こえた。どうも様子が変だ。大会中ずっとここが鬼門になると言っていた大きな谷渡りが別れ道となった。先頭グループでそこにさしかかった集団は、まっすぐ突っ込み次々と、ぐさぐさと谷あいの狭い畑に降りてしまった。じつに34名のパイロットがここらに着き刺さった。
Subject: [i-team No.471] その8(4)分割
From: "内田 孝也" on 99/08/08 17:50
じつに34名のパイロットがここらに着き刺さった。少し手前で力尽きた波多野、峰岸に加え、外村、鈴木もこの中にいた。空中に残るのはクラス2の板垣と大門だけとなった。
しかし、大門は苦しみながらも着実に進んで行く。東の離れたパイロンに向かった板垣は、クラス2が25機しかいないこともあって一人でサーマルポイントを探して苦戦している。結局パイロンリターンで降りてしまった板垣を回収してゴールに戻った日本チームは、そこで大門が最後のレグを午後6時を過ぎてまだ攻めているところへ帰ってきていた。
過去二回おなじレグで苦渋をなめた外村が解説する中、全員でその方角の空を見つめる。ジェラルドテブノが6時半前ファーストゴールで飛び込んできた。大門は、まだ十分な高度が取れない。テブノにゴール前の状況を聞き情報を飛ばし、双眼鏡で見える機体の浮沈に一嬉一憂する。最後にはテブノの言う高度は取れず、賭けに近い高度で恐る恐るゴールに向かう大門。いっしょにまわしていた機体は、まっすぐ突っ込んできて手前の谷間に消えていく。途中10メートル単位の浮沈を無線で報告しながらベストグライドを続けた大門は、とうとう5mくらいの高度でゴールを切った。日本チーム感動。
この6時間にわたるフライトで大門は総合17位に浮上した。最終日の様子と今日行われる閉会式について、次の報告9にてお伝えします。
日本チーム チームリーダー 内田孝也 現地8月8日午前9時
[i-team No.472] 世界選報告その9
From: "内田 孝也" <takaya.uchida@nifty.ne.jp> on 99/08/09
03:07
世界選報告その9:内田です。
最終日の7日は、南風が強くなる恐れと、サンダーストームの発達する可能性があると予報され、一昨日と同じアッシジのモンテスバジオに向かった。気象条件次第ではキャンセルもするだろうというコメント付きである。テイクオフに着くと、役員の判断まで組むなといわれたはずのグライダーがどんどん組まれている。
これは、いけるんだろうと日本チームも並んで場所を確保した。タスクが発表され、ウィンドウがオープンした。風は少し強いが何人かの選手が出ていく。しかし、ウィンドウオープンの合図のラッパを回数間違いでパイロットブリーフィングとして鳴らしたために、騒然としてしまったテイクオフはなかなか静まらない。タスクで向かう北方の空域にウェーブによる雲が出来ているのをさして、ゲロルフ(オーストリア)が危険なタスクはキャンセルすべきだと力説する。
オーガナイザーも続行と中止の狭間で随分苦しんでいて、パイロットコミッティが再度選手の意見を集めて進言するまで、競技を続行するつもりだった。日本チームは様子見をしていたものの、フライトする意欲は十分で、騒ぎを遠まきに見つめていた。ついに2時前キャンセルが発表された。それは、そのままマンフレッドの優勝祝いの歓声とブラジルの団体優勝の雄たけびの人垣につながっていった。日本チームの団体ベストテン落ちの決まった瞬間でもあった。
キャンセルのかけ声とともにフリーフライトに飛び出す選手も続出した。日本チームでも、鈴木、外村、板垣が出ていった。風は次第に強くなり、テイクオフで4m近い南西風になったが、上空のリフトも十分強く3人はモンテクッコのゴールランディングをめざすことになった。夕方6時過ぎ、宿敵の北パイロンからのゴールレグをやっつけてきた外村が戻ってきて、モンテクッコでトップランなどして遊んでいた残りの二人とゴールに降りた。
Subject: [i-team No.473] 報告その9分割
From: "内田 孝也" on 99/08/09 03:10
夕方6時過ぎ、宿敵の北パイロンからのゴールレグをやっつけてきた外村が戻ってきて、モンテクッコでトップランなどして遊んでいた残りの二人とゴールに降りた。ギドは、ゴール上空で遊びすぎてループ3回目の途中でタンブルさせてしまい、更にレスキューを二つ同時に開いてしまったためにグライダーを壊したとこぼしていたようだ。
何だか、競技をやっていれば成立していたはず(外れてばかりのお天気官もそう言っていた)という感じで、優勝争いはともかく団体で大門を除く日本チームが前日の不完全燃焼のまま終わるのも残念な気がした。夜は遅くまで、あちこちで騒ぎが続いていたようだった。
日が明けて今日8日は、11時から開会式と同じ会場に集まってプライズギビングセレモニーだった。優勝、世界選手権者マンフレッドルーマー、2位3位はともにブラジルパイロット。クラス2はATOSに乗るドイツのクラッツナークリストフが優勝、スウィフトのジョニーカーは2位となった。国別でクラス1はブラジル、クラス2はスイスの優勝であった。
オーストラリアがスティーブモイス以外目だった活躍がなく日本と10位争いを演じたり、ウクライナがオレグ以外に大きな得点をする選手がそろってきたり、世界地図にも変化を感じさせる大会であった。閉会式では、グッビオの町の旗振りパフォーマンスが演じられ、ランチが全員に振る舞われたうえ、開催地シジロのワインなどがお土産に配られた。
日本で応援してくれていた皆さんどうもありがとう。団体は不本意でしたが、大門の活躍は本物の実力を感じさせ、溜飲の下がるものでした。不本意中の不本意で、フラストレーションの塊であった大沼さんも、くさることなく大会中でのフライト復帰を目指したり、回収車からの情報提供に努めてくれました。今回のことでメインエンジンに点火してしまったようですので、次回スペインでも日本チームの有力戦力として活躍してもらえることを期待します。それでは、これでイタリアからの世界選手権報告を終了いたします。
日本チーム チームリーダー 内田孝也 現地8月8日午後7時半
[i-team No.474] 世界選報告番外
From: "内田 孝也" <takaya.uchida@nifty.ne.jp> on 99/08/10
08:35
世界選報告番外エピソード編:内田です。
ホームページ向けの正式報告のほうは終了を宣言してしまったのですが、時間に追われて書き忘れたり全体の優先順で書けなかったことを思いつくまま列挙します。
まずアメリカのラリーさんのこと。日本を発つ前にイタリアのホームページから入手した選手名簿では、アメリカのチームリーダーがなんとクリスアライになっていました。相当な理屈屋さんなので、まあ、どういうことになるのか楽しみだと思ってモンテクッコに来たのですが、開会式が終わっても初日がキャンセルになったときでさえラリーチュードーが顔を出しませんでした。アメリカチームのメンバーが逆にどこかで見かけなかったかと聞いてきたほど。日本選手のあいだでは「あの奥さんでは(いい女過ぎて)振りまわされているんでないかい」などと勝手なことを言っていましたが、とうとう大会には現れず、クリスが選手で飛んでいました。
最終的に連絡があったのか、どうなってしまったのか、チャンスがなくて聞きませんでした。それから、今大会では重大事故はなかったこと。
[i-team No.475] 報告番外編分割
内田 孝也" <takaya.uchida@nifty.ne.jp> on 99/08/10 08:37
それから、今大会では重大事故はなかったこと。日本選手はみな恐がってサーマリングの蚊柱の中心に入ろうとはしませんでした。一度報告に書いたように、ルール方向にまわしていると、下から逆周りでつきあげてくるということが良くあったりして、日本チームは危険だと感じることが多かったのですが、オーガナイザー側は事故の発生率について手柄を立てたような顔をしてました。
大沼さんがキャンセルになった第一日目に手首を骨折した後、目立たないようにテイクオフしない選手が増え、最終的には10名もの脱落があったのですが。キャンプサイトでも、片腕をギブスなどでぶら下げている人をたくさん見ました。ただ死亡事故とかにまで発展する大事故はなくてすんだということです。日本チームは、地上でもキャンプサイトに帰る途中で危うく正面衝突か、崖下への転落のすれすれの目にはあいました。あー恐かった。私が運転してました。
あとは、長年の海外経験の中で私ははじめて空港のトランク受け取りに出てきたケースの鍵がこじ開けられていたというのを経験したことです。金を入れてなかったので、鍵が使えなくなった以外物理的被害はなかったのですが、もう悔しくてローマ到着イコール、イタリアーノ信じないモードになってしまいました。
なお今日はすでに帰り道にあって、イギリス、ロンドンからお送りします。
それでは、また。日本チーム チームリーダー 内田孝也 現地8月9日午後11時半