第13回 世界選手権レポート
World Air Games hanggliding Championships 2001
13th World Championship Hang Gliding Class1
8th World Championship Hang Gliding Class2
Algodonales-Cadiz -SPAIN
2001.6.14. - 7.1.

もちろん孝也さんのレポートです 


Subject: 世界選レポート Date: Wed, 13 Jun 2001 22:38:39 +0900
From: 内田 孝也<takaya.uchida@xxx>
To:
内田@自宅です。

いよいよ、明日の朝からスペインへ向かいます。選手は続々と現地に結集しています。
予告でご返事をいただいたりしたなかで、追加のアドレスや、本レポートの容量を抑えることなどを決めました。このあて先が最終のつもりです。
メールらしく、軽い容量で送るため、写真はサムネイルを一つつけるくらいにします。ショートコメントや、メインの写真は、別の手段で送るJHFホームページで楽しんでください。

転送や、転載は自由としますので、多くの人に楽しんでもらってください。
メールを転載するクラブのホームページなどでも、JHFの公式報告ページをアピールしてもらえればと思います。
http://jhf.skysports.or.jp
からたどれるようになります。よろしくお願いいたします。
それでは、行ってきます。第一報はあさってかな??
それでは、また。
Subject: [スペインタ]レポート開始です Date: Sat, 16 Jun 2001 16:55:18 +0900
From: 内田 孝也 <takaya.uchida@xxx>
To:
内田@スペインです。

昨日まで、練習日として世界選の準備をしてきました。
きょう16日は、いよいよローカルの開会式があり、明日から競技の開始です。

思っていたより狭いテイクオフに、200人近い選手が参加しており、すでにいろいろな議論がブリーフィングで戦わされています。
世界の選手の状況を含め、できるだけレポートをお送りしていきます。

どうぞ、ハンググライダーチームを応援してください。
それでは、また。
Subject: [スペインタ]16日開会式 Date: Sun, 17 Jun 2001 13:24:10 +0900
From: 内田 孝也 <takaya.uchida@xxx>
To:
内田です。

今、こちらは17日の朝5時です。きょうから、いよいよ競技の開始です。

夕べは、アルゴドナーレスの村で、ローカルセレモニーの開会式が行われ、選手10名とサポート5.5名の日本チームは、パレードでの大声援に世界一を決める大会に来たという実感にひたりました。JHFホームページの写真を見てください。

今回の各国の選手のなかには、オーストリアのマンフレッドはもちろんのこと、チェコのトーマス、ドイツのギドもそろっており、日本チームの若い選手もいっしょに飛ぶのを楽しみにしています。反面、アメリカのマイク・バーバーさんのように本番前にして怪我によりリタイヤせざるを得ない選手も出ています。

昨日送った写真で少し見えたように、テイクオフのまわり数十キロ内は起伏の多い地形で、水平に広がるランディングを見つけるのが至難なうえ、背の低い電線が空中からはとても見にくくなっています。
おとといは強めの風でしたが、練習日は、選手も条件の良いときを選んで調整のフライトをすることにして、無理をしないようにしています。開会式の前には、添付の写真のように3名が最終調整のフライトをしました。
ホテルのある村は、サハラといってアルゴドナーレスと向き合うように岩山のうえの方に建っている白い街です。
じつは、昨日お送りしたテイクオフの写真に写っています。湖の向かって右側の岸に、小高い岩山にへばりつくように見える、白い壁の村がそうです。
アルゴドナーレスでは、大会のセレモニーでしたが、こちらサハラの村では伝統あるお祭りが始まり、3日間ほどにぎやかに行事が続きます。昨夜は、お祭りのために腕によりをかけてしこんだ料理に舌鼓を打ったのでした。

狭いテイクオフから、次々並んで出て行くランチオーダーシステムなど、これまでと勝手の違う競技がいよいよ始まります。
夜の長いスペインですが、朝9時行動開始を基準にした毎日が待っています。寝るのが2時3時で当たり前というのがスペイン流のようですが、日本チームは少し離れた要塞の村で静かに朝を待っています。

それでは、これからの実況レポートをお楽しみに!
Subject: [スペインタ]まだ始まっていませんタDate: Mon, 18 Jun 2001 22:56:32 +0900
From: 内田 孝也 <takaya.uchida@xxx>
To:
内田@スペインです。

競技以外のお話を、ゆっくりしたいところですが、みんなと観光に出かけようと言うので、また後にさせてください。
16日の初日は、左サイドフォローで弱まらずキャンセルになりました。
今日二日目は、朝から強風が吹き付けて、テイクオフまでは行ったのですが、再びキャンセルです。
写真の車のほか、もう一台ワンボックスと、さらにどでかい9人乗りミニバスで行動しています。
それでは、また。
Subject: [スペインタ]あしたこそdDate: Wed, 20 Jun 2001 08:46:38 +0900
From: 内田 孝也 <takaya.uchida@xxx>
Reply-To:
To:
内田@スペインです。

JHFホームページなどで、泊まっている村を「サハラ」と紹介しましたが、Zをサと読んだところまでは良かったのですが、正しい読み方はサアラ、でした。お詫びして訂正です。とても良い村です。Zahara、アルゴドナーレスにくるチャンスがあったら泊まってください。
また、JHFホームページにだけ流している写真は、サイズの大きいものですので、ホームページの良く見たい写真をクリックしてもらえば、より臨場感が得られます。

ところで、本題の世界選なのですが、初日から三日間続けてキャンセルになってしまいました。
南のアフリカ上空にある低気圧の影響で、南スペイン全体が東の強風というなか、グラナダのPGの初日がタスクを組めたということでブリーフィングにはどよめきがありました。なぜか、地表近くから1000mくらいまでが一番風速が強く、そのうえは弱まるのです。

16日の初日は、左サイドフォローで出られず、セットアップゾーンの確認練習みたいになり、17日はそのおさらいのようにすごい強風のテイクオフで選手が集まって顔を見合わせたわけですが、今日19日は、さすがにヘッドクォーターで12時まで決定を待ち、キャンセルとなりました。添付の写真は、その開店休業状態のヘッドクォーターです。

今回の大会のこれまでのトピックでは、CIVLのセクション7と言う、ハング(クラス1.2.3)競技のバイブルのような規定書に対して、プロテストが提出されそれが認められたことでしょう。正確には、その改定にあたってのCIVLの広報の仕方やタイミングに手落ちがあり、今世界選に限って新しい2001ルールブックのみでなく旧2000ルールブックを採用するという決定です。これによって、イタリアのアンジェロ・グラパンザノなど、6名の選手が出場を認められました。
日本選手は、もともとこのたぐいの情報に神経質に気を使ってきたため、またCIVLで長く活動してきたJHFの小林朋子副会長のご努力が実って、FAIのホームページに公表された数日後には対処を検討しだすなど、事前に万全の対策をしていました。こちら現地に来てから慌てることが無く、関係の皆さんに感謝します。

昨日は、レポートをはしょって観光だったのですが、スペインの西の端のカディスという町の湾の対岸にある港町で、新鮮でおいしい魚介類を楽しんできました。エビ・カニがメインで、手づかみでがつがつという幸せな時間でした。証拠写真もお送りします。
今回大活躍のサリータがサービスしているのは、大食漢の大沼選手と、子連れの氏家選手です。

明日は何とか競技ができるのではないかと期待しています。
それでは、また。
Subject: [スペインタ]21日初競技Date: Fri, 22 Jun 2001 15:27:56 +0900
From: 内田 孝也 <takaya.uchida@xxx>
Reply-To:
To:
内田@スペインです。

今日は、22日の夜中2時で、じつはもう今日の競技も成立して、その話もしたいところなのですが、まず昨日の最初の一本の話をします。
二日も続いた東からの強風が、予報通りぴたりと止まり、南東がメインの風ながら、サーマルブローがテイクオフに上がってくるコンディションになりました。

この山にはテイクオフが、真西向きと、南西および南東向きの2つあり、南向きのほうがセットアップなどが広くとれます。
しかし、ここ南スペインでは、ヨーロッパ標準時に対して、実際の太陽の動きが日本と合っていないため、午後2時ころが日本の正午という感じで、テイクオフの始まる3時くらいは、ちょうど日が天頂から西に移動するころになります。どうも、そのころから西斜面のサーマルが活発になり、朝から調子よくふいていた南の風が、西かぶりになってテイクオフに向く斜面が変わってしまうのです。

21日もそうでした。練習日からわかっていたので、チームリーダーも、オーガナイザーもいろいろ意見を交わして考えたのですが、一本目は、広くて全員が出られる可能性の高い南テイクオフにかけたのでした。
結果として、その判断は間違っていたとは思えません。しかし、サーマルブローとともに、テイクオフにダストデビルが踊り出すと、風向きはころころ変わりました。くじで決めた順番に、峰岸が最初に10機目に出たあと、大沼がリジットの4番でテイクオフ、アーリーバードタイムには安定していた風が、この辺から少しずつ風向きを変化させてきました。

次に、38番目にテイクオフを待っていた外村に、GOが出たのです。風は、あとからスチュワードのデニス・ペイゲンが、わざわざ言いに来るほど、完全に90度真横でした。拒否すれば(TLのわたしが・・)良かったのですが、とのやんのことですからいけるよ、と、走りだしてしまいました。それは、まるでふわっと引っかかったように見えるクラッシュでした。そのあと、意外にも折れてしまったアップライトを換えて、再び空の戦士になったのでした。でも、ごつごつの岩とブッシュは、思いのほか外村選手を傷つけていました。足首の打ち身が、すごく腫れてきたのです。今日22日の競技は、病院でチェックのため飛びませんでした。

同じテイクオフで、平林は、ハーネスを着てフックインしている状態で、ダストデビルに直撃されてしまいました。わたしも近くにいたのですが、できたことは持ち上げれた片翼が、さらに持っていかないように飛びつくのが精一杯でした。

そんな、テイクオフを経て、70キロメートルレベルのアウトアンドリターンをした結果、オフィシャルホームページで見られるような結果となりました。クラス1では日本チームノーゴール、クラス2で板垣さんが第三位です。成績としては、想定ゴール者数より相当低いため、GAPシステムによってトップ点数が抑えられています。板垣選手も、フライトタイムだけで見ればトップを取ったというのが本人の弁です

もう眠くて、あしたにさしさわるので、尻切れですが送信とします。あとで、JHFホームページを見てください。
それでは、また。
Subject: [スペインタ]総合成績タ Date: Mon, 25 Jun 2001 20:47:28 +0900
From: 内田 孝也 <takaya.uchida@xxx>
内田@スペインです。

なかなかレポートできてなくてごめんなさい。JHFホームページの写真とコメントで、こちらの様子を想像していてください。
たまってしまうと厳しいですが、レースの模様をまたお送りします。お待ち下さい。

総合成績が、公式ページに出ていないことがわかりました。24日までの総合成績をお知らせします。タスク4から7まで、4本成立しています。

クラス1:
1位、RUHMER,Manfred  AUT 2727
2位、HEINRICHS,Gerolf AUT 2578
3位、HOLTKAMP,Rohan  AUS 2382
61位、平林
62位、大門
89位、太田
93位、氏家
111位、峰岸
124位、外村

クラス2:
1位、PLONER,Alessandro ITA 3269
2位、CHIECH,Cristian ITA 3024
3位、TRIMMEL,Manfred  AUT 2515
7位、板垣
13位、大沼
20位、境
28位、古坂

添付の写真は、22日、予報に反してなかなか上がらないテイクオフの上にたまってしまったガグルを見上げる境選手と、境、平林両選手のテイクオフ前の表情です。それでは、また。
Subject: [スペイン]21日二日目の様子Date: Tue, 26 Jun 2001 02:33:20 +0900
From: 内田 孝也<takaya.uchida@xxx>
To: 内田@スペインです。

はじめにお断りというか、お詫びです。
あいだが開いてしまっていますが、6月22日にお送りしたレポートで、一本目が21日ですということを言っていますが、午前零時を過ぎて書いていたために日付を一日間違えていました。ごめんなさい。

これまでの経過は、6月16日開会式。17日から19日まで3日間キャンセル、テイクオフには行きました。そして20日に一本目、21日に二本目です。
20日のタスクが、北西方向へ向かう第二パイロン付近で、予報と反対の北西風に阻まれて、多くのパイロットがパイロン付近に撃沈した中、日本チームでは板垣選手一人ゴールして気を吐きました。

21日は、初めに西へ振った後、南東の岩山の裏のパイロンを取ってから、北上してゴールというコースになりました。昨年ここでのレースを経験している板垣から、最後のレグが厳しい条件になるという予測がチームミーティングで披露されたのですが、天気予報ではフォローのファイナルグライドになることになっています。

実際には、最終パイロンをまわりこんだ選手を待っていたのは、北西から吹き降ろすアゲインストのゴールグライドでした。先頭グループと一緒にゴールに向かう境選手は、慎重かつ大胆に走り、クラス1のマンフレッドに続き、クラス2のトップでゴールに突っ込み一番手。すぐ後ろに続いたクラス2の選手たちが境選手より15分(計測の一回分)あとのスタートタイムだったため、個人順位は残念ながら7位となりましたが、そのあと板垣、大沼とゴールが続き、日本チームクラス2はたいへん快調です。
教訓は、経験に学べということでしょうか、板垣選手が言ったとおり予報などとは関係なく、レースが展開しました。20日の予報はずれに続き、2日連続北西風になりました。
クラス1は47名もゴールが出ましたが、日本チームは誰もゴールにたどり着きませんでした。多くのゴールが出た割に、最高得点が600点に満たないのは、GAPシステムを知っている古坂選手によると、マンフレッドがかなりのスピードでゴールしたために競技時間が基準より短くなってこうなるのだそうです。

この日の日本チームは、たいへんたくさんの課題を残しました。ゴールした3選手が、いったん合流した回収車に置いてきぼりにされ、暗くなるころ拾われたとか、トップゴールの境選手がゴールに向かうころ誰もゴールに居なかったなど、言い訳はあるもののとんでもない状況でした。偶然通りかかるまで無線が通じず、降りた場所のわからない選手もありました。それで夜、晩ご飯のあと、零時を過ぎてから、反省会をしました。連日、ベットに入るのは1時2時という状況になっています。

さて、肝心の世界チャンピオンに向けてのレース展開なのですが、この時点でまだ(!)2本成立ということで、条件さえ好転すれば、これまでの世界選のように連日ビッグタスクで実力を競い合えると信じていました。また、はじめの二本のトップ点数が低いこともあって、まだまだ上位を含めて順位は行方がわからないと思っています。

次の報告メールで、三日目の様子をお伝えします。
ちなみに21日は、外村選手はお休みして、大きめの町の病院へ行ってレントゲン写真で足首の状態を確かめてきました。医者も首をひねり、本人も首をかしげ、骨にひびの入っている可能性はある、と覚悟を決め、それでもどうしてもと言ってギブスはせずに帰ってきました。
そして、高台にあるホテルから、選手と回収車にいろいろ的確な指示を出してサポートしてくれました。

みんな、それぞれにハードな一日でした。
それでは、また。
Subject: [スペイン]22日の様子Date: Tue, 26 Jun 2001 16:03:47 +0900
From: 内田 孝也<takaya.uchida@xxx>
To:
内田@スペインです。

大会競技3本目は、前の夜の反省会を踏まえ、地上の配車を各パイロンに早めに固定ではりつけることにしました。
2本目にはじめて西テイクオフを使って、要領の悪かったアーリーバードランチシステムも、今日は4名の日本チームがフルに利用しようとしています。

西のテイクオフは、セットアップがとても狭く、200機のグライダーを組むと身動きできなくなります。今大会のテイクオフシステムは、それを見越してランチオーダーシステムと言って、朝からその日のテイクオフ順が決められてしまっています。
総合成績でなく、前日の成績によって配置するのが面白いところです。それで、150番目以降くらいになると、流れに遅れる可能性があるので、日本チームはアーリーバードシステムで早めに出ることを選びました。

アーリーバードランチシステムは、ランチオーダーに先立ってきっちり1時間、その朝申告をした選手のみが出られるウィンドーを開くやり方です。アーリーバードリストには、クラス1で30名、クラス2で10名しか登録できないので、朝のリストには選手が殺到して列ができるのではないかと想像していましたが、意外にもそう多くは希望しません。

21日には、クラス2の古坂選手と、クラス1の氏家選手が登録をし、古坂選手が出ましたが、氏家選手は早出がやはり渋いコンディションのためやめて列に戻っています。
22日は、びっこを引き引き戦列に戻ろうとする外村選手を筆頭に、前日ゴールを逃した大門、峰岸、太田の4名が一足早くテイクオフに向かいリストの中の位置を確保しました。

タスクは、テイクオフの東へクラス1とクラス2でコースが分かれるように設定したスタートを切り、昨日とちょうど逆周りのような三角パイロンです。
昨日の反省でチームリーダーは選手全員のテイクオフ順が確実に守られるようテイクオフをサポートすることにし、山本アシスタントがアーリーバードを見届けたらすぐに下山しポジションに入ります。しかし、どうも様子がおかしい。みんなすっきり上がらず、一時は降りてしまいそうなくらいに下がりました。天気予報は前日まで、テイクオフレベルより上には上がらないと予報していて実際は良く上がったので、今日は良くなってきたからそこそこ期待できるはずだったのですが、ランチオーダーが始まってテイクオフ上空が下から見ていても危険なくらい混んできました。オーガナイザーは、グライダーがはけるまでゲートをクローズします。すると残されてあせった選手が再度オープンした時すかさずプッシュをすごく後ろの方からかけます。それで、テイクオフレーンは1分ルールとなって大騒ぎということの繰り返しでした。

さて、これを読まれるころには、すでにホームページ上で3本目の成績は見ていると思います。大門選手が、スタート後いくらも進まないうちに突き刺さっているのを、不思議に思っていた人も多いのではないですか?そう、西の遠いほうのパイロンに張り付いたわたし内田も、下山してその情報を聞いたときは、アーリーバードが失敗だったのかと心配でした。
実際は、何とトーマスが引っ張っていった集団が、ことごとくいっしょに玉砕したのでした。大門いわく、神様だと信じたから一緒に行ったのに、まっすぐ行って降りちゃった、もう神様じゃないよと言うことです。

この日、西のパイロンはクラス1のラストパイロン、クラス2はもうひとつパイロンをゴール近くに残すだけでした。ここには、日本チームは板垣と平林が到達しましたが、平林はわたしの見ている前でサーマルが売り切れ、パイロンに降りてしまいました。
板垣はゴールへ向けて帰っていきましたが、最終パイロンまでは届かず、GPS計測で有効なので安全な高度で出きる限りパイロンに近づいたのち、メインランディングのゴールフィールドへ降ろしました。

やはり全体に渋い一日だったようです。こういう状況が次の日にも続きます。
それでは、また。
Subject: [スペインタ]24日はキャンセルDate: Tue, 26 Jun 2001 16:06:45 +0900
From: 内田 孝也 <takaya.uchida@xxx>
To:
内田@スペインです。

競技4本目の情報は追ってお伝えしますが、24日25日はキャンセルになってしまいました。24日にはJAAのスポーツ航空室長の角田さんや、担当の松崎さんそれに伊藤さんという方も視察にみえていたのに残念でした。

写真は、24日回復した足を見せて、元気にアーリーバードに出て行く外村選手と、キャンセル後のテイクオフでオフィシャルと談笑する大沼、山本。それから、24日は山本アシスタントのお誕生日で、夜ホテルのレストランでみんなでお祝いをしました。
それでは、また。
Subject: [スペイン]23日のレースDate: Wed, 27 Jun 2001 10:14:57 +0900
From: 内田 孝也<takaya.uchida@xxx>
To:
内田@スペインです。

23日は、これまでに成立した最後の競技、4本目が飛べた日です。そして、好調な板垣選手が惜しくも順位を落としてしまった日になってしまいました。

タスクは、クラス1とクラス2のスタートが離れるように最初のパイロンを振った後、北の渓谷へ行き、西に最後のレグを伸ばしたあとメインランディングゴールへ戻ってくるものです。北のパイロンは、降りるところのないところにあり日本チームは「地獄橋」と呼んで恐れました。実際、パイロンに突っ込んで降りた選手は、無線も電話も通じず、オーストリアのクラス2の有力選手はひざをバックリ切る大怪我をしたそうです。大沼選手も地獄橋に降りたのではないのですが、最後の突っ込みのあと、狭いランディングで両膝に大きく擦り傷をつくってしまいました。

車の配置から、山本アシスタントがファーストパイロンをサポートの後ゴールへ、わたしはまた西のはずれのパイロンで待機という形になりました。地獄橋を越えるころの選手の無線は、わたしには届きません。回収のため北へ向かったサリータ号は、選手を見つけるのに苦労しています。まあ、数年前に比べて、無線のほかに携帯電話が使えるようになったのは大変な進歩で、ほとんど勘に頼ることはなくなりましたけどね。

じっとパイロンで待っていると、午後7時ころになって大沼選手と大門選手がいっしょに最終パイロンに向かってくるのが聞こえてきました。双眼鏡で確かめると、トップグループ数機と、後ろにつづくガグルがやってきます。パイロンの近くでは上がるところが見つからず、みんな低くなって最後のリフトを探ります。目の前で、ガグルの上半分が抜けて高度を取り、下半分がちぎれて散っていきました。大沼選手はその最後のしずくで上がっていき、ゴール方向に向かいます。大門選手は上がりきれず流していきました。

無線で捕まえられなかった古坂選手が、パイロンのふもとに降りていることがわかり、今日の日本チームのトップスリーが確定しました。そのうしろには平林選手がパイロンまでの半分をこなして降りていました。10名の選手全員の消息が確認できたら、ヘッドクォーターに電話連絡を入れます。午後9時までに言う必要があり、この日ははじめて時間を超えるまでわからない選手があり、その旨の申告と、後から再度確認電話を入れました。

地上サポートの様子は、大体こんなものです。大沼、古坂両選手の成績が日本チームクラス2の団体得点をささえましたが、10点差でドイツに3位の座を明け渡してしまいました。

GPSを使ったフライト報告は、タスクの設定そのものを従来と違ったものにしています。パイロンポイントを中心に半径いくつと決めたシリンダーにGPSの軌跡が入れば、それでクリアです。おかげでスタートの切り方は、円弧状の境界線のどこでラインを超えても同じです。テイクオフ前を除いては、不必要に選手が集中する空域は消えました。パソコンのプログラムも良くできていて、コードでGPSやバリオをつなぐと、すぐに軌跡がわかるうえ、自動的にパイロンのクリアやランディングによる軌跡移動のストップなどを検出します。大沼選手によると、ランディングと同時に地上を走りつづけても、ごまかしは効かず、ばれちゃうと言う事でした。

とりあえず、今日はここまでにします。
それでは、また。
Subject: [スペイン]これからの予測Date: Wed, 27 Jun 2001 16:20:03 +0900
From: 内田 孝也<takaya.uchida@xxx>
To:
内田@スペインです。

今日、水曜から金曜まで最後の三日間は、条件が良くなっていくものと予報されています。実際、いま、窓の外はスペインらしい抜けるような青い空と、穏やかな朝の湖が広がっています。

写真と速報は、JHFホームページに短信を載せていますので、どうぞそちらを見ていてください。レポートもがんばって書きます。

マンフレッドが、このまま逃げ切るのか、個人戦の模様も本格的になると思います。終盤になって、やっと世界選らしくなりそうです。どうぞご期待下さい。
それでは、また。
Subject: [スペイン]24日キャンセルDate: Sat, 30 Jun 2001 21:53:43 +0900
From: 内田 孝也<takaya.uchida@xxx>
To:
内田@スペインです。

渋くて、異常とも思われるコンディションでの競技が4日間続いたあと、今日こそは好転したかと思いながら、アーリーバードの準備をしている。天気予報とは違って、ウィンドダミーがぶっ飛んでいく。アーリーバードウィンドウが開いても誰も出ない、そのうちウィンドーをクローズして、タスク変更の検討が公表された。一人だけ直前にテイクオフした選手はアメリカチームで、無線でタスク変更にも同意して上空待機している。
スタートまで、クラス1と2を離すために設定されたはじめのパイロンをなくし、どちらのクラスもまっすぐ北の第二パイロンへ向かわせることにして、再びオープン。
ここで混乱が起きた、少しでもコースを離すためにスタートシリンダーの大きさの再変更があったので、アーリーバードウィンドウのディレイタイムも遅らすことになったが、すでにグライダーについた日本チーム選手に情報が伝わらなかった。ゲートクローズまでに出られなくなると計算した峰岸選手がプッシュをかけてしまった。
プッシュのなかには外村選手も入っており、次々出ていく、しかしテイクオフキャンセルしてどいてしまう選手も居たため、予想より峰岸のスタートがせかされ、無線チェックが不完全なままで出てしまった。峰岸の無線が通じない。

ひどく渋いコンディションの中、外村と峰岸が粘るが、これまでのどの日よりも上がりが悪い。タスクは、北上して平地に出たのち西へゴールグライドのもので、けっこう遠いため、24日は内田が先頭につく予定にしていた。ちょうど視察にこられた日本航空協会の角田室長一行ともあいさつがすみ、ランチオーダーの始まるころ下山を開始した。

山の裏は無線が届かない。半分ほど降りたころ電話がなって「競技はキャンセルになった」ということだった。とうとう、オープンして、テイクオフ可能であるのにサーマルが渋すぎてキャンセルという事態になってしまった。向きを変えてテイクオフに戻ると、フリーフライトの選手がテイクオフ前でいろいろパフォーマンスを演じている。

しゅるしゅると力の抜けた、峰岸と外村選手は、早々にたれて緊急ランディングに降りていた。

以上、これに続くお休みとなった25日に書いておいたメモからです。
はじめのうちの、強風コンディションが抜けた後は、天気さえ良ければ競技はできると信じていただけに、残念でショックも感じた日でした。
24日は、このあとそれぞれで湖に泳ぎに行ったりしたのち、夜にはホテルで特別にメニューにない料理を用意してもらって、特製ケーキを囲み山本アシスタントのお誕生会をしました。
それでは、また。
Subject: [スペインタ]26日ロングディスタンスDate: Sat, 30 Jun 2001 21:54:51 +0900
From: 内田 孝也 <takaya.uchida@xxx>
To:
内田@スペインです。

2日間の休養ののち、西テイクオフに上がった選手たちは、26日の天気情報が必ずしも強いサーマルでないうえに、西の強風だったので、こんなに距離を設定するとは考えていなくて意外だった。コースは北へ向かい平地に出て、北東のパイロンに進み、折り返してそこから南東のゴールへ向かう。

テイクオフ前は相変わらず渋いが、時間とともに高度がとれるようになってくる。西風が強いため、少し上がってもまたテイクオフ前のリッジに帰ってくると低くなってしまう。平地に出てからの様子がわからないので、日本チームはみんなテイクオフ上空で様子を見ている。日本チームしんがりの氏家選手が出ても、アーリーバードで出た峰岸、外村選手は出発していなかった。

そんな時、回収のため下山しようとしていたわたしの背後で「バカン」という大きな音がして、振り返ると右翼の折れたハンググライダーとふらふらと方向の定まらないリジッドのユートピアがテイクオフのまん前にあった。ハングのパイロットはスピンが始まってもパラシュートを投げない、テイクオフにはCIVLのオリビエプレジデントも居て、あたる瞬間も見ていたらしい。みんなそれぞれの国の言葉で、レスキューを出せーーと叫んでいるが、ハングのほうはスピードを増しながら落ちていく。

そのとき、バーンという爆発音が響いた。何の音かと目線を変えるとユートピアのほうが小さめのレスキューを開いて落ちていく、ロケットディプロイメントの音だったようだ。思いこみで、リジッドのほうはまだ飛べていると思っていたので意外だった。そして、2機とも同じくらいの高度を同じくらいの勢いで落ちていき、テイクオフの先のがけ下に消えていってしまった。

回収の後、上空から見ていた大門選手の話を聞くと、テイクオフの前側にあるがけの棚にかろうじて乗って、その先に落ちずにすんだものの、その岩場にたたきつけられるような落ち方だったそうだ。わたしは、以前オーストラリアのフラットランドで死んだ選手のように、空中衝突によって意識を失いレスキューを投げられずに落ちたものと思った。命もないかもしれないと考えていた。
テイクオフは十数人の選手を飛ばさないままクローズしたが、日本チームはみんな空中に居たので、その場はパイロンに向けてレースに出た。回収後HQに戻って、事故の結果を聞くのは憂うつだったが、ホールに入るとバラバラに壊れたそのハングが置いてあった。
ゼッケンを見ると、ロシアのナターリアという女性パイロットだった。前回のイタリアにも来ていた選手だ。いよいよ聞きたくなくなったが、実際は予想と違うことになっていた。ナターリアは、奇跡的にかすり傷で、自分で歩いてテイクオフに上ってきたらしい。
もう一人のリジッドのほうが深刻で、アメリカのマーク・ミュリョランド選手は、腰の骨を折り、肺に損傷を受けて内部に出血し、ヘリに運ばれてその晩のうちに2箇所の手術を受けていた。その後、命に別状はないものの、スペインで死んだように眠らされていて、これから一ヶ月は入院が続くということであった。彼の家族のための生活費の寄付がHQで呼びかけられていた。

この日のゴールは120キロくらいあり、一番長いタスクとなったが、クラス2で板垣がゴールした。日本チームで次に一番ゴールに近づいたのは峰岸選手で、氏家選手がそれに続いた。添付の写真は、アーリーバードで出ていこうとする峰岸選手と、そばで段取りを話す氏家選手。混み合うウェストランチの様子と、峰岸の後アーリーバードですぐ次に出ていく外村選手。

ひとつ大きな反省があって、平林選手がこの日は貧乏くじを引いてしまった。ゴールへ行っていた回収車と、途中としんがりの回収車のやり取りに、行き違いがあって暗くなるまで降りたところに取り残された。平林君ごめんなさい。みんなへとへとだったが、夜中1時過ぎにHQに戻った板垣、平林ほかスタッフとHQのレストランで食事をしました。
それでは、また。
Subject: [スペインタ]27日のゴールレースDate: Mon, 02 Jul 2001 09:16:52 +0900
From: 内田 孝也 <takaya.uchida@xxx>
To:
内田@スペインです。
西の強風ながらも、前日26日より良いサーマルコンディションが予報され、上限高度も高いとなって、日本チームは誰もがもっと遠くへ追い風で流す長距離レースを期待していたので、もろに強烈なヘッドウィンドを突き進むレグを含んだタスクは意外だった。

前日は到達高度が低い予報だったこともあり南東にあるマラガ空港の管制圏でも、避けて通過コースを設定したが、今日のコンディションではきちんとよけると北に振りすぎて難しいということが説明され、西風でマラガ方向へ行き、管制圏のその手前で帰ってくる三角コースとなった。

日本チームは、特にクラス1は翼面荷重が少ない選手が多く、飛び出す前から「そこに降りちゃう」などとヘッドウィンドレグのことを深刻に考え込む選手がいる。最終レグになる片道約13Kmは向かい風に向かって幅広の谷を渡り、最終パイロンを確認したら、追い風でまっすぐゴールに向かう形になる。ゴールできず、わたしと一緒にHQで軌跡をパソコンに表示させた選手の飛び振りを見ると、流されてはまた戻りという繰り返しだった。

結局、ゴールはクラス2で4選手中3名、クラス1でも、6選手中2名が達成、特に外村選手のゴールはサーマルの終了間近、いったん負傷でお休みしたことなど忘れるような頑張りで、ヘッドウィンドに弱気になっていたテイクオフとは気持ちが違いました。最終パイロンを、直前にそこに降りてしまった平林選手のリフト帯誘導によって、かろうじてクリアし、かつかつの高度でゴールに突っ込んだようです。

今回の大会で、最も多くのパイロットがゴールした日であり、たぶん皆うっぷんを晴らした競技になったと思われます。ゴールできた選手は、ゴールで申告を済ませ、ゴール近くの中華料理屋で舌鼓を打ちました。回収組みは、HQ経由でホテルに戻り、村のレストランで夕食でした。それでは、また。

添付写真は、ヘッドクウォーターについた日本チームカーの勇姿、とはじめて雲のできた空でガグルができる、とスチュワードのデニスペイゲンとフリッツです。
以上。
Subject: [スペインタ]29日最終競技Date: Tue, 03 Jul 2001 22:39:11 +0900
From: 内田 孝也 <takaya.uchida@xxx>
To:
内田@スペインです。

JHFホームページでお伝えしたように、28日は今大会中最も良いサーマルコンディションを予報されながら、テイクオフに吹く風向きのせいでキャンセルになってしました。非常に残念で、特に力の入っていた板垣はじめクラス2のメンバーには、上位逆転のチャンスをひとつつぶされた思いでした。

そして迎えた29日朝、風は収まり穏やかに見えました。数日前からの予報で、この日はぐるりと風向きが回ってまた東から南東風の予報です。朝のチームリーダーブリーフィングの時間には、まだ南南東の風がテイクオフに吹いているということでした。連日午後遅くなると西風がサーマル時間とともに吹き込むようになるので、東ランチと、どちらを使うか迷いどころです。

ウェイティングののち発表されたのは、西ランチでした、

最終タスクでアーリーバードを希望したのは、太田選手のみ。山頂に置いた吹流しは、裏からの東風を受けて大きく逆にたなびいています。時折サーマルブローで前から吹いてきますが、気温が上がりサーマルが出始めるとともにダストデビルなど発生し荒れ気味に。タスクはエリアの西側での三角パイロンが決まりましたが、風が安定しないためアーリーバードの時間が30分延長されます。このままもしキャンセルになったら、前々日の成績のまま世界選手権が終わってしまうというので、日本チームはクラス2を中心に気がきでありません。

しかし、時間とともに、ゲートはオープンし選手はみんな最終レースに出ていきました。西側での三角レースで、2台のサポート車は早くから配置に出したので、わたしはテイクオフに残って進行状況のトラッキングでした。しかし、北のパイロンを取ったころから、選手からは上空は結構東風がきついという情報が入り、南のパイロンにつくころには、みんなからサーマルが渋くて厳しいという声が聞こえてきました。双眼鏡で確認しますが、よく上がっているガグルは見えますが、渋くて苦しんでいるグライダーはよく見えません。

アーリーバードで先行し、世界のきれいどころといっしょに移動していた太田選手が力尽き、最終パイロンの手前で降りたのを確認したころ、下山することにしました。添付の写真は、その太田選手のテイクオフ直前と、すっかり誰もいなくなったテイクオフから、横風で(?)でないでいたスウィフトがぽつんと一機出ていくところです。

回収道路に入ると、外村選手が上空に来ていました。南のパイロンをクリアしたのち、降りてしまった板垣選手のちかくで苦しんでいたところで下山してきましたから、てっきり降りてしまったかと思っていましたので、うれしい発見です。しかしゴールスタッフからの励ましも足りず、あと4キロのところに降りてしまいました。そのゴールにはクラス2の古坂選手がとのやんに先だってゴールしていました。渋いコンディションで、クラス1,2合わせても30名ゴールしたかどうかの条件で、立派なフライトでした。

もっとも期待のかかっていた、板垣選手は、じつはこの日の朝ちょっとしたアクシデントで眉間の左脇に大きな傷を負っていました。その影響が、あったのかなかったのか、最終パイロンにたどり着かずに降りました。一緒にHQへ行ったらば、クラス2の上位にいた3位の選手も途中下車しており、もしがんばれればと、次の日の表彰式まで残念がっていました。それでも個人成績5位というのは、日本チームとしては、胸をはって誇れる実績だったと思います。

これで、泣いても笑ってもおしまい。翌日朝の最終チームリーダーブリーフィングで、成績の確認をしたところで世界選手権の実質的な終了です。あとは、日本に帰ってからになると思いますが、閉会式の模様をお伝えします。
それでは、また。
Subject: [スペイン]閉会式Date: Wed, 04 Jul 2001 10:17:32 +0900
From: 内田 孝也 <takaya.uchida@xxx>
To:
内田@スペインです。

もう、JHFホームページでごらんいただいた方が多いかと思いますが、ローカルとWAGの閉会セレモニーの様子をお伝えします。

ローカルの表彰式がアルゴドナーレスのフットボール場、特別式典会場で行われたのは、6月30日土曜日でした。その模様と、翌7月1日にヘレス(Jerez)で行われたWAGのクロージングセレモニーについてお話します。

パラグライダーチームのホームページでも見ましたが、オーガナイザーがどうしようもないというのがWAG各競技の悩みどころだったようです。ハンググライダーについては、ホアキンという人がしっかりしていたのか、ハングの歴史でそうだったのか、はっきりしませんが、毎日のブリーフィングは時間通りでしたし、すべて順調でした。ただ天気の割にあがらないコンディションが問題だっただけでした。

6月30日と、7月1日は、閉会のセレモニーがあるだけでしたので、30日の土曜は朝からみんなグライダーの梱包でした。最終チームリーダーブリーフィングも、特に混乱はなく、怪我をしたアメリカのクラス2の選手のことなどが報告されました。閉会式は、その晩7時30分からということで、それまで通り時間に始まるものと思って出かけましたが、大きな会場を運営するのは大勢のスペイン人です、午後9時過ぎになって、ホアキン・オーガナイザーから「これがスペイン時間の7時半です」というコメントとともに始まりました。

今回、条件に振り回された感じが強かったですが、マンフレッド・ルーマーが安定した実力を見せたほか、オーストリアチームは1位から3位を独占してしまいました。コンサート会場のステージには、前回団体優勝のブラジルも上がりましたが、国別もオーストリアの勝ちです。マンフレッドのコメントで、来年はクラス2にも出場しようかなという話も出ました。依然、勢いがあります。

クラス2の表彰では、個人成績10位までがステージに呼ばれ、日本チームの板垣選手も会場から祝福されました。団体では、惜しくも4位に終わりメダルを逃しましたが、壇上に上がった選手が各国の認知を得て、日本の地位を示したものと思います。

ローカルセレモニーでは、そのままコンサートに突入したのをみながら、日本チームはホテルに戻りました。翌朝は、10時過ぎから車で1時間ほど離れた街へ出かけます。ヘレスという街は、シェリー酒で有名なところだそうです。お昼から始まったWAGのセレモニーには、日本航空協会の松崎担当や、パラシュートのマネジャー、モーターパラのチームなどが顔をそろえましたが、選手団は観客席に座って見ているだけのものでした。ハングの各国チームも数えるほどしか来ていません。パラグライダーの日本チームは、バスの時間の伝達漏れとかで、時間には間に合いませんでした。

それでも、さすがにスペイン時間でないのが、アクロバットなどのフライトショーでした。モーターパラの編隊飛行や、フランスチームのジェットの編隊曲技飛行などもありました。いくつか、写真を添付します。

この日の朝、次の大会出場のため出発した、大門、大沼組をはじめ、セレモニー後三々五々と選手は解散していきます。一番大人数のグループは翌朝のマラガ空港発です。写真に写っていますが、スペイン在住の多田さんは30日にもう一人のご友人と来てくださり、太田選手を乗せていってくれました。マラガ発のグループのうち、わたしを含む5名は、その後スペイン時間の飛行機運行のため、乗り継ぎ便に乗れずさんざんな思いをしました。

それでじつは、今これは日本へ帰る飛行機で書いています。帰るとすぐ、会社の仕事が待っていますので、しばらくして落ち着いたら、エピソードをまとめて最終のご報告ができたらなと考えています。それでは、長いあいだ応援をありがとうございました。
Subject: [スペイン]おまけDate: Wed, 04 Jul 2001 10:18:01 +0900
From: 内田 孝也 <takaya.uchida@xxx>
To:
内田@チームリーダーです。

すべて終わった開放感のなかでの写真をおまけで送ります。
全員ホテルの駐車場にそろったところは、これで大門、大沼が出発し、残りのメンバーでヘレスの閉会セレモニーに行くところです。

そのセレモニーも終わり、ホテル前へ帰ってきて、湖からホテルの村サアラを見て記念撮影。わたしも投げ込まれそうになりましたが、湖へドボンの外村と平林です。良く日焼けして日本人ではないみたいですね。
それでは、また。

戻る Home