第6回
JHFモーターパラグライディング選手権
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主 催:社団法人日本ハンググライディング連盟
会 場:アクティブフライングクラブ飛行場エリア
期 間:平成14年9月28日〜29日
後 援:茨城県関城町
    関城町商工会
    茨城県ハングパラグライディング連盟
主 管:JHF補助動力委員会
 
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初日は朝から雨
 毎年この日を楽しみにしているのは私だけではないだろう。遠く離れた同好の士に
会うと、久しぶりの会話は少し照れ臭く、ここでしかできない自分の薄笑顔が不思議
だ。それでも、どうでもいいような会話から5分もすれば、たちまち1年間の空白が
埋まってしまう。そんな雰囲気はテイクオフの直前まで続く。どんなPG大会でも斜
面に立つ選手達は皆無口だが、ここに集まる仲間は久しぶりに会う親戚のようだ。
 仕事の都合で会場入りしたのは大会当日の朝だった。前日夜半から降り出した雨は
あがる気配がない。会場に着いてみると、近くの公民館に選手役員が勢ぞろいしてい
た。ここで開会式を済ませ天候待ちをするとのことだった。雑談を交わす飛ばない男
どもはどう見ても「単なるオジサン」にしか見えない。やがて開会式も終了し選手は
三々五々と公民館を出ていった。宿舎へ休息をとりに戻る者、近くのクアハウスへ出
かける者、不謹慎にも麻雀を始める役員。(それは私だ) 結局、初日の競技は天候
不順ですべて中止になった。過去6回の大会で初めての経験だった。
 その夜のウェルカムパーティーは、例年のごとく、地元高校生のロックバンドあり、
詩吟舞いあり、マジックシヨウにジャズ演奏もありのテンコ盛りメニューだったが、
なぜか今思い出そうとしても、何が演じられたのかはっきり思い出せない。頭の中は
「明日の天気」でいっぱいだった。
 
   
  初日昼食/関谷常任理事と朝日会長  大会本部は準備のやり直し
 
ジェントルメン・スタートユアエンジン
 晴れた。雨は見事に止んだ。しかし辺り一面に濃霧が立ち込め、高圧線鉄塔の上部
は灰色のグラデーションがかかっていた。もやった芝生のあちこちからエンジンの始
動音が聞こえてくる。「ああ大会ができるんだ」という気持ちになった。ただ大会応
援のためデモフライトして来た小型ヘリは霧の中に爆音だけを残し、LD地点を発見
できずに引き返して行った。
 タスクは毎回山崎委員長が決定する。その決定に異を唱える者は誰もいない。唯一
1人だけ、私だけが時々若干のお願いをする。そのほとんどが「最後にエンジンを切
ってくれ」という注文だった。担当理事の頃の口癖だろうか。エンジンをカットしな
いと、補助動力の運用規定に合致しないからだ。この日の注文は違っていた「1本目
は短いタスクでどうだろうか」だった。とにかく1本を成立させたかった。規定では
エントリーした選手が全員テイクオフできないと競技が成立しないからだ。
 
  
 
タスク1:スピード&ターゲット
 日差しを待つこと2時間半、10時半にゲートオープンになった。前日の雨でほと
んど消えかけていたLD上の30本近いラインは、このウエイティングで見事に復帰
した。競技はテイクオフと同時にタイム計測を開始、パイロンを周回しエアーゴール
する周回スピード競技と、空中設定ラインでエンジンをカットしてランディング精度
を競う。過去の大会でも、常に初回の競技として採用されているタスクだ。
 今回はちょっと変わっていた。選手は気付いていなかったかも知れないが、パイロ
ン1つを採って帰ってくるタスクだった。距離の往復6km 弱、非常に短い。過去の
タスクではパイロンは複数、最低でも2つで、コースはトライアングル以上になって
いた。パイロン1つということは「行きと帰りの機体が対面する」ことで敬遠されて
きた。それでもこのタスクを採用した理由は「とにかく1本を成立」させたいためだ
った。
 案の定、予想以上に時間がかかってしまった。あえてゲートクローズを設定しなか
ったせいもあるが、ゲートオープン時からLD上の風向が定まらず、吹き流しが皆違
った方向になびいている状態だった。湿った地表が急激に乾いていく時に起こる特有
の地表風とみられる。むしろ無風の方がましだった。1番機、地元茨城の田村のテイ
クオフが10:51。最終機富山の丸田が12:35。その間に要した2時間45分
は過去最長だった。
 前半の周回スピードはハングによるトライアルタイムの7分を上回って、6分24
秒の好タイムで千葉の岩田幸雄がトップタイムを記録した。しかしながい戦い(?)
が終わって、このタスクを制したのは群馬の高橋伸弥だった。2位には同点で千葉の
相羽輝夫と埼玉の村田福司がつけた。
 
   
 
会場のアクティブフライングクラブ飛行場とは
 昼になって一度引き返した小型ヘリもやって来た。このエリアは、長さ220m、
幅70mのマイクロライト機の飛行場だ。オーナー宮崎勇氏は「MPGの方も是非遊
びに来てくれ」と言うほどの、大のスカイスポーツ理解者である。マイクロライト機
のデモフライトも見せてくれた。
 昼休みに会場を見渡すと観客の多さに気が付いた。過去の大会では黒部に匹敵する
数だろうか。ビックリしたのは駐車場に露店が出ていたことだ。焼きそば・鮎の串焼
き・焼き饅頭にビールもあったが、なぜか下駄屋さんも軒を連ねていた。
 
  
  この銀色のドームがマイクロライト機の格納庫。
  
 
タスク2:スピード&ターゲット
 競技はあえてタスク1と同じにした。恒例のエアスタートはテイクオフコンディシ
ョンを考えると、空中待機に至るまで膨大な時間が想定され不採用にした。パイロン
を周回しエアーゴールするまでの距離は18.4km、その間に4つのシークレットパ
イロンを確認する。午後に入ってLD上の風向きは更に定まらなくなってきたが、選
手に奮起を促してあえてゲートクローズタイムを設定した。選手全員が出払って、T
Oがカラッポになるのは実に気持ちがいい。一丁あがりという気分だ。
 前半の周回スピードは2位以下に3分以上の差をつけて、またも千葉の岩田が制し
た。しかし競技の明暗はターゲットで決まった。気ままな風の中でタスク1のターゲ
ットを捉えたのは6名。タスク2ではそれが僅か3名にまで落ちた。エンジンをカッ
トすると皆一直線にターゲットに向う。それではダメだ。吹き流しが見えていないの
だろうか。結局このタスクを制したのは沈着な機体コントロールを見せた埼玉の村田
だった。2位に岩田(ターゲットを外す)3位に田村光穂が入った。
 
   
 
緊急事態発生
 第2タスクの競技中、緊急無線が入った。配信の主は競技フライト中の東京の関口
伸夫からだった。内容を要約すると次のような報告だった。
【緑色の機体が高圧線鉄塔に引っ掛かっています。パイロットは救助を求めています。
至急救出をお願いします。】という内容だった。
 119番&電力会社に連絡すると同時に、JHFの山崎と千葉の萩原が現場へ急行
した。この時、ストール機は神奈川の一ノ宮であることは確認していたが、ストール
の原因はまったく分からなかった。目を凝らして見ると約3キロ程先の鉄塔に、グリ
ーンのキャノピーが送電線の下約10mに垂れ下がっているのが肉眼でも確認できた。
 選手が続々と戻って来ると、その中に、落ちて行くのを見た者もいた。栃木の櫻井
美穂である。彼女の証言は意外なものだった。
【緑色の機体がかなりのスピードで追い越して行くのを見ました。機体が急にスパイ
ラルを描いて降下を始めましたが、スピンという回転スピードではなかったので、地
上に緊急ランディングをするのだと思いました。】である。
 では直接の要因は何だったのか、本人に聞いてみなければ分からないが、事故の報
告はこの大会レポートではこれ以上言及しない。今から一週間以内に正式な事故調査
報告を掲載する。今暫く時間を貰いたい。
 

  

 
抜群のコントロール
 優勝は埼玉の村田福司が2度目の栄冠を勝ち取った。村田選手はJHFの大会では
抜群の強さだ。エンジンカット後の機体操作がこの大会の主眼であるなら、チャンピ
オンの名にふさわしい。これからMPGを習得しようとする多くの人達へ最高の手本
と言える。この技術を高く評価したい。準優勝は千葉の岩田幸雄、総合3位は地元茨
城の栗原清正だった。
 
  
  優勝 村田福司選手(埼玉)2回目の栄冠
 
第1回MHG選手権は不成立
 記念すべき第1回補助動力付ハンググライディング選手権は、定員不足で不成立に
なってしまった。参加予定の6名中2名がキャンセル、参加者4名中3名がオープン
参加を希望したため、競技にならないという残念な結果になってしまった。あらため
て来年度、周到な準備を整えて第1回を開催する予定になった。なお、大阪より正式
参加した松本庄一郎選手に、JHF会長より特別フライト賞が授与された。
 
  
  入賞者:後列左から女子部門賞・櫻井美穂選手。MHGフライト特別賞・
  松本庄一郎選手。6位・佐藤良雄選手。4位・相羽輝夫選手。前列左から
  準優勝・岩田幸雄選手。優勝・村田福司選手。3位・栗原清正選手。
  ※5位の関口伸夫選手は一ノ宮選手の付き添いで病院へ行っていた。
 
次回へ向けて
 今回は大会の翌30日に補助動力委員会の会議を予定していた。当然、事故の報告
と原因追及の場になってしまったが、議案が山積していたため正式な事故調査を山崎
委員長に一任して審議に集中した。
 今後の競技内容の見直し等は、事故調査報告を受けて次回話し合われることになっ
た。全治3週間の骨折を負った一ノ宮邦雄選手の、早期復帰を願って止まない。必ず
来年もその雄姿を見せてくれるものと信じている。
 
  
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